内側にある原因を選び直す

内側に原因があるのだから、内側を見て(内観して)原因を選び直す、選び直す、選び直したいと心から思う。

「この問題、悩み、執着してしまう願い」の原因となっている信念や価値判断を見つけて、手放す、手放したいと心から思う。

いずれにせよ、その内側(エゴ)を見ていく中で、

おそれを前提とした想定や計画、ジャッジや自責・自己否定の罪悪感に気づくことができる(意識にのぼらせることができる)ので、

その時点でも、かなり前進なのです(自分ではそう思えない、ということはよくあります)。

 

 

思い込みは、思い込んでいるから思い込みなのであって、意識に登らせることができて、

それを手放さずに持っているのは自分である、「誰かや何かのせいで」と言いたくなったら、それを裁かずによくみて、

「そう言いたいのはわたしである」と何度も何度も、思い出していくことになりますが、

そのようにしてエゴをみて、手放して、愛に戻っていくうちに、「自分の内側にこそ、原因、信、軸、創造性がある」ということが思い出されていきます。

 

いろいろなメソッドはあると思いますが、内側に原因がある、本来の自分を思い出す、というところでいうと、

この、エゴをまっすぐに見ていくこと、内側を見ることは欠かせません。とても重要なことです。内側に原因があるからです。

苦しい、というとき、心の奥で、愛ではなく、苦しい、という思いを選択している、ということで、内観はそれを思い出していくことでもあります。その中で、ほんとうの愛、奇跡を経験して癒される経験も重なっていきます。

エゴは、内観が嫌いです。なぜなら、そうやってエゴを見て、内側を見ていくことで、自らの立場(エゴの立場)が危うくなるから、です。

 

 

「内観のやり方がわからない」というご質問をいただくこともたまにあるのですが。

(1)ただ自分の内側、心、考え、思ったこと、思考、感じたこと、信念などを、ただ見る感じ

(2)自分だけの価値観、判断、決めつけ、レッテル貼りなどを疑う姿勢も大切

(3)「なにを?どのように?どんなところが?どんなふうに?どうして?」など、自分が自分に問いかける、自分が自分をインタビューする感じ

(4)「この感じはどんな感情か?」と、感じること、感情も具体的に正直に見る(言語化する)ことも大事です。感情を表現する言葉って色々あります。

※(4)を丁寧にする習慣が身につくにつれて「なんかモヤモヤする」「なんかざわざわする」などのざっくりした不快感は減っていきます。感情を具体的に見るだけでも解けていく、整っていく感じはありますが、内側に原因、と言う上でも、結構大事だと思います。

(5)問題視、深刻視、分析をする必要はない。エゴと闘う必要はない。やっても罪や悪などではありませんし、ついついそうなってしまいがち、と言うこともあるかもしれませんが、時間の無駄というか、時間をかけることになりますので、それを頭の片隅に置いておくのはいいかもしれません。

あとは、自分の心のはたらき、心の自然な導きに任せること。

内観しててつらくなる、という場合は「無条件の愛の存在と一緒に見てもらう」という意識を持つといいです。

 

 

内観の一例、を、書いてみます。

(1)出来事、事象、悩み、問題、執着になった願い(=どうしても叶えたいこと)などを書く。具体的に、でもできるだけ、簡潔に書くように意識してしてみる。「このテーマについてみる」みたいな感じです。

(2)(1)について感じる気持ち、感情を、感情を表現する言葉(怒り、嫌悪感、悲しみ等)で、できるだけ具体的に書く。複数の感情が出てくることはよくあります。

※感情を表現する言葉が全然わからない、という場合は、ネットで検索すると色々出てきますし、そういう本も売ってますので、そういったものを参考にします。

(3)誰のせい、何が原因だと思っているか、正直に素直に書く。ここで「正解」を書くんじゃなくて、いかにもエゴな考え、ドロドロ、トゲトゲ、腹黒い思いが出てきて良いので、それを書きます。

(4)自分、または、相手を、どういうふうにみているか?何だと思っているか?どんな存在だと思っているか?を書く。正直に素直に書きます。これも、今、排水溝の滑り取りの最中のようなものなので、酷いものが出てくると思いますが、それを書きます。

(5)最悪の想定を書きます。(絶対こうならないでほしい、こうなったらこわい)

(6)最高の想定を書きます。(こうなってほしい、こうなるべきだ)

すべてに共通して言えますが「素直に正直に書くこと」です。エゴを見てる、ということなので、いい子ぶらないこと、正解を書こうとしないことが重要です。

(5)と(6)は、表裏一体で、(2)の不快な感情を支えている、とも言えます。なので、手放します。

 

 

手紙形式の方が、スラスラっと言葉が出てきやすいという場合は、そこでまず、自分が言いたいこと、言いたかったこと、正直な気持ちを自由に書く練習をするのもいいと思います。

誰かに言いたいことは、自分が自分に言ってること、自分が神に言ってることです。

「言いたいことを言えない、我慢する」というのは、他責(隠れて他責)してますので、それも裁かずに受け入れることが大切です。

というか、自分を責めなくなってくればくるほど、愛に戻れば戻るほど、他責(エゴ)でもなんでも、どんな自分も認められるようになってきます。

他責しているということは、自責しているからだからです。わたしたちは、ここを認められないとき、投影します。

強く自分をジャッジしてるからこそ、認められないとか、不一致(気づいてない、気づかないふり)、ということになります。

この場合も、なぜ言えないのか?自分や相手をどのような存在だと思ってるのか?など、上記の(2)〜(6)みたいな感じで、感情や思考や想定などを丁寧に書き出すことが大切です。

 

 

表面的な思いや、「わたしにはこういうブロックがある!」みたいな感じだけで終わらずに、どうしてそう思うんだろう?なんでだろう?と、ゆったりと、問いかけていく感じです。

慣れてくると、”自然と、心がつれていってくれる”みたいな感じになってきます。

 

 

なかなか、ひとりでは、うまく見れない、というときは、ぜひセッションをご活用ください。

不要な信念を見つけて、大いなる存在を信頼して差し出すことで(原因を選び直す)、奇跡を受け取る・・・この経験に何度も触れていくことで、

自分には価値がない、ダメな人間だ、この先どうしよう、というようなことを、だんだんと思わなくなっていきます。エゴの洗脳から解放されていく感じです。

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