心がこもっていれば、心が伴っていれば、そして、心が神の方を向いていれば、なんでもいいので、とにかく祈ります。
例えばよく「人を攻撃したいような祈りはダメだ(人を呪わば穴二つ)」というようなことがよく言われると思うのですが、
あれは一体どういうことかということを、もう一度、念の為おさらいすると、
「あなたはわたし(鏡の法則、外側は内側の反映)」という絶対的な法則があるので、
「Aさんが失敗しますように」などと祈ったところで、法則的にはAさん=わたしとなるので、「わたしが失敗しますように」と自分に対してそのように祈ってることとまったく変わりがありませんよ、
てゆーか、そんな思いを持っていることが苦しいでしょうに、そのような思いを持ち続けて、さらに祈りでその思いを膨らまして、そんな自分を傷つけるようなことはおよしなさいな、ということです。
なので、もし、誰かに対する、恨みや憎しみや怒りなどの気持ちがあるときは、
「神様 Aさんに対するこの気持ちをわたしが持っていることで、わたしは苦しいです。わたしは今、この苦しみの原因が、過去Aさんがわたしにこのようなことをしたせいだと、Aさんに原因があると思っていますが、そうではありません。原因は内側にしかありません。どうぞ助けてください。導いてください」
と、正直にご自分の気持ちを打ち明けた上で、助けを求めることができますし、
一番強烈で強力で効果的なのは「神様 Aさんを祝福してください」です。(笑)。これは、不思議と、祈り続けていると、本当に、心からそう思えるようになってくるものなのです。
そして、そのとき、わかると思うのですが、相手を心から祝福できるとき、それは、自分が心から祝福されているときと同じほどの喜びで満たされるものです。
祈りは、奇跡を受け取る、ほんとうに、直接的な方法です。
祈りの力、というのは、あらゆるところで、知られています。
同時に、隅々まで、本気でひっくり返していくにあたって、とても重要なことは、
・内側に原因があるということ
・思考を逆転させていくこと
です。
逆転させる、というのは、
例えば
(逆転前)「パートナーが話を聞いてくれないから、わたしは愛されてないと感じる」
(逆転後)「わたしは愛される価値がないから、その証拠として、パートナーが話を聞いてくれない(としか思えない)という現実を拾い集めてきた」
です。
祈りで差し出すのは「話を聞いてくれないというパートナー」という外側ではなくて、
「わたしは愛される価値がない」という信念・誤ったセルフイメージの部分です。
話を聞いてくれないとしか見えないパートナーは「わたしは愛される価値がない」という信念、自己否定の罪悪感の投影です。
根っこは「わたしは愛される価値がない」という信念・誤ったセルフイメージなので、
ここを祈ると「話を聞いてくれないとしか見えないパートナー」だけでなく、その枝葉の現象(パートナー以外の投影先)も、
丸ごとひっくり返っていく、ということです。
問題や悩みや執着(どうしても叶えたい願い)の中にいるときは、どうしても、「これだけ」を考えてしまいがちなのですが、
セッションなどで、よく、「恋愛で相談してた方が、経済や仕事や親子関係などから、みるみる奇跡を受け取っていく」ということがよくあるのは、こんなふうにして、繋がっているから、というのもあると思います。
「木」じゃなくて「森」を意識してみるのは、とても大事にしていきたいことです。
「わたしは愛される価値がない」についてですが。
自分自身に、わたしは愛されていると、感じさせることができるのは、自分自身だけです。
このことを、受け入れるのは、非常に重要なことです。
自分自身が、自分自身に「わたしは愛されていない」という強烈な自己催眠をかけ続けていたら、
相手がどう逆立ちしたって、あの手この手で愛を表現してくれたって「愛されていないように感じる」となるものなのです。
反対に「わたしは愛し愛されている」ということを、深く受け入れるとき、
「言動の奥」に、確かに自分へ向けられていた愛を受け取れるのです。
「なんとか自分を言い聞かせるようにして」とか「なんとか自分を納得させて」とかじゃなくて、確かに、心の奥からそれを感じられるのです。
わたしたちは、これを恐れてきました。
このことを、わたしたちは、そんなはずはないとか、難しいとか、できないとか、恥ずかしいとか、負ける気がするとか、悔しいとか、色々な形を取りながら恐れてきただけでした。