「よくある祈りについての誤解」と書きましたが、
どう祈っても「悪い」ということはありませんが、
本当の奇跡、癒しを受け取るための祈りを深めていくために、
よくある誤解について、書いてみたいと思います。
それは・・・
例えば・・・
「結婚できますように」「〇〇さんと結婚できますように」
「お金が〇〇円手に入りますように」
「苦手なあの人が職場からいなくなりますように」
「この病気が治りますように」
「受験に合格しますように」
などです。
これは、わたしたちの多くが、このような形で祈ってるものだとも言えます。
だから、その祈り方をしていることが「悪い」というわけではないです。
「この祈り方でも、叶ったことがある」という方もいらっしゃるでしょう。
けれども「すべて叶った、叶っている、そして何があっても確信していられる」わけではないはずです。
「叶ったり、叶わなかったりする」ということは、完璧な方法、普遍的な方法ではない、ということです。
では、どうするか?というところについて、
今日は、簡単に、ポイントを絞って書いてみたいと思います。
例えば、
「結婚できますように」「〇〇さんと結婚できますように」
「お金が〇〇円手に入りますように」
「パートナーが優しくなりますように」
「苦手なあの人が職場からいなくなりますように」
「この病気が治りますように」「〇〇さんの体調が早くよくなりますように」
「子供が受験に合格しますように」
このような状況で、祈る場合、祈り方としては、ふたつあります。
(1)
ひとつは、その状況において、自分の内側で感じている不安や恐れ、そしてエゴの信念、価値判断などを見つけて、手放すための祈り。
原因は外側の出来事にあるわけではなく、内側にあるんでしたよね。
どんなときでも、内側が外側に映し出されています。
ということは、外側の結果(出来事、人、肉体)の変化を求めるということは意味がない、ということになります。
そして、外側の何かや誰かを変えたい、変えようとする思いは、エゴのコントロール欲求であることをただ認める、ということは、すごく大事です。裁いたり、禁止したり、問題視したりするのではなくて、ただ認める、という感じです。
なので、内側にあるものを手放していく祈りをします。(なので内観が大切です!)
例:結婚したいという願いの場合
「内観をしてみると、焦り、不安、恐れ、孤独感などの感情、そして、外側の誰かや何かをコントロールしたい思い、比較や嫉妬などの思考、さらに深く見てみると「親のせいで」と言いたい気持ちが出てきたり、なぜか突然大昔に付き合った恋人への怒りが出てきた。好かれたい、嫌われたくないという駆引取引操作したい思いも出てきた。私は愛される価値がない、私の愛は受け取ってもらえない、頑張らないと幸せになれない、などの自己否定の信念が出てきた。」
・・・こういったものをすべて、神様に「手放したいです。手放せるよう助けてください。この思いを愛に戻してください。このことを、みんな(※)で奇跡の体験を受け取るための道具として使ってください。ありがとうございます」と、祈りによって差し出します。
※「みんな」について・・・自分だけでなく、自分と家族等々関わる人々、あとはそのとき思い浮かぶすべての人々、過去ご縁があった人、これから出会う人、会ったこともない人々、などです。ここを意識すると、法則にピッタリ一致する、法則を肯定してることになるので、非常にパワフルになります。
この祈りを丁寧に重ねていくことで、みなさんどんどん奇跡を受け取ります。
(2)
もう一つは「ただ神に感謝する」なのですが、これは「正直言って、今、心からの感謝なんてできない」という方もたくさんいらっしゃいます。
このようなときは(どんなときも、ですが)自分に対して、素直に正直になることが大切ですので、(1)の祈りをします。
(1)を日々、コツコツしていると「心からの感謝」も自然とできる日が増えてきます。
(1)の祈りが、「浄化」の部分でもあるのですが、
(1)を日々、コツコツとしていく中で、たくさんの奇跡を受け取れるようになります。
その奇跡の体験を重ねていくことで、根深いエゴの信念(無価値感、劣等感、自己否定感など)が癒やされていきます♡
そして(1)の段階は、最初はすごく苦痛に思えたり、苦行・修行に思える時期があったりすることもありますが、
続けていくことで、さらっとできるようになってきます。
この(1)をさらっとできるようになる、ということが大切なのであって、「消しゴムで全部消す」みたいなイメージではないです。
エゴの思い・・・例えば、比較、嫉妬、コントロール欲求、承認欲求、復讐心、など、他にも、もっと深い場合には、もっと「自分の考えだと思いたくないほど、どろっとしたもの。ギョッとするような思い」が出てくることもあります。
けれども、これは「私」ではなくて「エゴ」であって、「私がエゴと同一化していたこと(エゴを選んでいたこと)」が問題なのであって、
私そのものが問題なのではないのです。そして、エゴと同一化していることに気づいたとき、もう癒しははじまっています。
なので、どんな思いが出てきても、「ただみる、ただ認める」ことができるようになる、というのはとても大切なことです。