実際に奇跡を体験するにあたって大切なこと【大きな分かれ道】

今回書くことは、わたし自身、最近気づいたことというか、ハッとしたことのひとつです。

最近というか、ここ数ヶ月ですが。

 

 

奇跡というのは、五感を通して、神に触れる、神を感じることでもあると思います。

「五感を通しての奇跡の体験」というのは、とても大切なことです。その体験を、何度も何度も受け取ることが、

「自分なんかダメだ、愛される価値がない、罪深い存在である等々」という自分で持っている根深い信念が癒やされる、確実な方法だからです。

 

 

そして奇跡は「自分の努力、自分の計画で、自分が成し遂げること」ではありません。

この理解は非常に重要なことです。

奇跡は神様のお仕事です。「私」はそれを感謝で受け取る側。

 

 

それで「実際に奇跡を体験するにあたって大切なこと」・・・最近気づいたことなのですが、

「教えてください」

↑この姿勢というか、この感覚が、あるか、ないか、というのは、大きな分かれ道だということです。

なぜなら、教えてください、ということと、経験させてください、ということは、全く、同じこと・・・

なぜならなぜなら、奇跡も、気づきも、解放も、癒しも、完璧な幸せも、愛に捧げられた関係性も、本当の豊かさも、

神は、体験・経験を使って、教えてくださるから、です。

しかも、超、優しく、幸せに、感動的に・・・みたいな感じでです。

神は無条件の愛の存在なので「試練を与えたり、罰を当てたりして、教訓めいたことを示す」などはしません(笑)これはエゴの解釈・エゴの代表傑作です(笑)

 

 

努力してらっしゃる方、がんばってらっしゃる方、謎解きがお好きな方。

たくさんいらっしゃいます。わたしも、そうでした。

やはり、最初は、

思考をひっくり返していく、

導き手をエゴから大いなる存在に変えていくわけですので、

そういう意味での努力は必要ですし、

出来事を見て「なんで!?どういうこと!?」となることは、普通です。

けれども、ここを「自分一人でやらない」というのは、大きな分かれ道なのです。

「自分一人でやらない」というのは「誰か他の人間とやる必要がある」という意味というよりかは、

「大いなる存在とともにやる」という感じ、

もうちょっと正確にいうと「大いなる存在にほとんどやってもらう」という感じです。

 

 

わたしの場合は「なんで!?どういうこと!?」というようなとき、

「わからない、でも、知りたい、教えてほしい」というような感じだったのです。

「現時点で、完全にわたしはお手上げです。でも、きっと”降って”くるだろう」みたいな感じというか。

「誰に教えてくださいといってるのか?どこからその気づきが与えられるのか?」など意識していなかった時期もありましたが、

今思えば、ずっと祈っていたんだな、と思います。

そして、祈りは、神に想いを馳せれば馳せるほど、深くなっていきました。

 

 

逆に、頭の中が、あれこれ予測想定心配後悔などでぐるぐるしているようなときは

「助けてください」でした(笑)

 

 

五感を通して、この物理的な世界での体験、経験として、奇跡、癒し、解放を受け取りたい、

という場合は「教えてください」意識してみると、いいかもしれません。

 

 

外側には、たくさんの情報・解決策・対処法・〇〇の方法・メソッド・・・などなど、たくさんあります。

それを見るのが、いいとか悪いとか、そういう話ではなくて、

一難去ってまた一難だな、とか、これだけうまくいかないというのがずっと続いてるな、とか、

どうしても叶えたい願いがある、執着、とか、

同じ問題繰り返すな、とか、

なんだかずっと心の奥では苦しいな、確信がないな、

という場合は、

「自分の中にある、自分よりも大きな存在、高次の自己、高次の力」というのが、

誰にでも、例外なく、全員の内側にありますので、

ここに「教えてください」と祈ってみることを心の習慣にしていくと、

すごくいいかもです。

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