「わたし」がするのは努力ではなく奇跡を受け取ること

セッションのなかでクライアントさんから「願いを叶えるのは自分自身で、すべての可能性は自分にある、というのをモチベーションにしてきたのに、奇跡を起こしているのは大いなる存在なら、自分の力が弱く感じてしまいます」というご質問をいただきました。

奇跡を起こすのを「自分」じゃなくて「大いなる存在」としたのは、「自分」としていると、万能感を増幅させることになるからです。

「自分(わたし)」には「エゴとしての自我」と「真我の二種類」があります。

「エゴとしての自我」が願いを叶えようと努力していると、あるとき「自分」が苦しくなっちゃったり、願いではないものを願いだと思い込んで叶えようと努めたり、制限や限界というものを知らずのうちに存在させることになったりすることがしばしばあります。

「わたし」たちが、するのは、

  • 「幻想のほう」じゃなくて「奇跡のほう」をみること
  • わたしの内側の世界だけを見ること
  • わたしのなかの「エゴ」をすべて等しく認めること

とすると、楽だし、間違いないだからです。

あなたはそもそも自分の人生の自由な創造をする者として、ここに生まれてきました。

「神様」「大いなる存在」「創造主」などは「創造性のエネルギー」のことで、その創造性のエネルギーはずっとあなたの内側に存在します。

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