よくある祈りについての誤解(補足)

以前、よくある祈りについての誤解という記事を書きました。

要約すると「形・物質的の上での変化や解決を求めるのではなく、内側について祈る」ということについて書きました。

 

形・物質的の上での変化や解決を求めて祈っても、

うまくいかないこともあれば、うまくいくこともある、つまり、完璧な形での祈りとは言えませんし、

叶わない間はずっと焦ったり、不安になったり、落ち着かないということになります。

一瞬叶ったと思ったけれども、すぐにまた次の「問題」「願い」が出てくる、ということもあるでしょうし、

形の上での変化だけ求める祈りをしても、かえっておそれの気持ちが膨らむ、ということもあるかもしれません。

 

なので、形・物質面での変化を求める祈り(祈り?)ではなく、

「わたしは、このことについて、どうしても解決されないと困ると思ってるようです。なぜなら〜だと思ってるからです。〜だと思い込んでいるからです。どうか助けてください。導いてください」

「わたしは、このことについて、どうしても叶ってほしいと執着しているようです。なぜなら〜だと思ってるからです。〜だと思い込んでいるからです。どうか助けてください。導いてください」

と祈ることができます。

 

あるいは、

「このこと(問題・悩み・願い)をわたしたちが奇跡を受け取るための道具として使ってください。ありがとうございます」

と祈ることもできます。

「ありがとうございます」というのは「このことを奇跡を受け取るための道具として使ってくださる、そして、それを受け取れる・・・♡」ということに対する、ありがとうございます、です。

 

ここまで読んで「じゃあ、物質的なことは諦めなきゃいけないの?」と思う場合は、

具現化の奥義

この記事をどうぞ。

 

物質的・形的なことを、諦めるとか、妥協するとか、忘れるとか、そういう話ではないです。

わたしも、昔、そういうことが解決される・叶うことが大事だと思い込んでいたときがありましたが、それでも、そう思いながらも

内側だけに原因があるということがわからない、わかりたいと思いながらも、

内側を見つめる、神に助けを求める、ということを続けていきました。

 

なので、当然ですが、全部完璧に分かって、ピカピカに手放した上で、

この世に対する執着を一切手放した上で、やっと幸せになれる、と思う必要はないのです。

  • URLをコピーしました!
目次