「気づく」・・・言っても、
「小気づき」と「大気づき」じゃないですけれども、
色々ある感じがあって、今日は「気づき」について、言葉にしてみたいと思います。
※仮に「小気づき」と「大気づき」とします。
「小気づき」は、闇→無への気づき、と言えるかもしれません。
エゴに気づく、というか。
この場合は、その後に、「気づいたけど、手放せない感じ」だったり「気づいたけど、なんかモヤモヤする」だったり、
「まだこの先に、受け取れる何かがある感じ」があるかもしれません。
解放感、喉に突っかかっていた何かが、すうっとなくなる感じが、あることも、あるかもしれません。
これは、厳密にいうと、まだ、何か、気づいていないこと、受け取っていない何か(受け取れる何か)、がある感じ。
光ではなく、闇に力、信を見ている、かもしれない、行ったり来たり、しているかもしれない、腹が決まってないかもしれない。
「大気づき」は、無から光、あるいは、闇から光への、気づき。
解放、癒し、思考停止、奇跡、大いなる存在への感謝・理解(頭ではない理解)、よろこび、などを伴う感じ、光を見る、受け取る感じ、
〇〇体験(一瞥、悟り、神秘、色々)と呼ばれるのかも、しれません。
でも、一度、大きな気づきを受け取ったからといって、それで終わりではないというか。行ったり来たりする時期があるというか。
この二つを受け取り続ける、そして、「光」が確かなものになる、それはつまり、闇も無も、実在していない、ということになる。
全体像としては、
闇(色) 無(空) 光
なので、無のまま、で終了しても、
「で???」となったり、
「あなたにみていた罪は、自分の罪でした。あなたを責めていたように、自分を責めていました。で???」となったり、
なんというか・・・そういう感じがあるかもしれません。
でも、闇からいきなり光を見ようとしてもよくわからなくなったり、混乱したり、
「闇が作り出している光に似たもの、愛に似たもの、絵空事、理想像」みたいなことになるので、
ゼロになる、エゴを直視する、ということは大事、小さな気づきこそが、大事。