本来の自分と一致する全体像

法則性を学び、受け入れ、内観して、

奇跡や癒しを受け取りながら、本来の自分と一致していく、

本来の自分に戻っていく全体像について書いてみたいと思います。

 

 

今から、ここに書くことを「絶対だ」と、凝り固まった感じで、思う必要はありません。

 

 

わたし自身が師たちから学んできたこと、わたし自身が実践・経験してきたこと、

そして、クライアントさんとセッション・レッスンを通しても経験してきたことを基に、

書いてみたいと思います。

 

 

今、自分はどのあたりかな〜、とセルフチェックに使ってみたり、

「ここはできてる」「意外とできてるじゃん」と自分を認めてあげたり、

「ここはよくわかないな〜(わかりたいな〜)」と気づいたり、

そんな感じで、気楽な感じで、参考にしていただければ、幸いです。

 

 

段階(0)

・エゴに無自覚である。罪悪感や恐れなどにも無自覚であるか、自覚があっても「何かのせい」だと信じている

・エゴに無自覚であるがゆえに、エゴの声を自分の本音だと信じ込んでいて、疑いもしない

・「外側の何か(世界、社会、他者、肉体、過去未来)のせいで、自分は苦しんでいる」など、外側に問題があり、外側に問題の原因があると信じている(疑うこともしない、というか、意味もわからない)

・外側の何か(世界、社会、相手、肉体、容姿、エゴ)などが変われば、自分は幸せになれると思っている(変えられるものと変えられないものの区別が、ぶっちゃけ、ついていない)

・「真の」と「偽の」の混同がある(無自覚)。例:偽の自分を真の自分だと信じている、愛と恋の混同がある、低級霊界と高級霊界の区別がつかない、「全肯定」と「否定と肯定の肯定」の違いがわからない、ナドナド

・偽の自分を真の自分だと信じているがゆえに、悪役を演じたり、善人を演じたりする。仮面をかぶっていることに気づかない状態

・自己犠牲、我慢、抑圧するのはいいこと、大人なことだと思ってる(だから、みんなもそうすべきだと思ってる)

・自分の正直な本音を認められない

・一言でまとめると、色々と無自覚であるし、決めつけや思い込みが強い状態(思い込みというのは、思い込みだともわかってない、ということです)

※ここで、問題や悩みや願いがあり「もうこんなのはうんざりだ」「変わりたい」「何かもっといい方法、幸せに生きる方法があるはずだ」「幸せになりたい」「癒されたい」と、探しはじめる。

※自分の中のエゴ、罪悪感、恐れなどを見ることを恐れるあまり、「ネガティブを無視したポジティブシンキング」や「念の引き寄せ」や「(ヴィジョンやイメージングではなく)妄想術」にハマることもある。

 

 

(※)ここで「0」から「1」へのシフト、つまり、「内側がすべてである、自分の中に力がある(この世界はその反映)」というところにシフトした、という前提で、以下を書きます。

 

 

 

段階(1)

・(自分の中の)エゴに気づけるようになる。エゴをエゴだとわかるようになる

・(自分の中の)罪悪感、恐れ、欠乏感、不足感、劣等感、惨めさ、痛み、等々、に気づけるようになる

・自分の正直な本音を自分で認められるようになる(正直の二段階

・抵抗にただ気づけるようになる

・偽のセルフイメージに気づけるようになる

・「すべて自分がつくっている」ことに気づく(このことの意味がわかる、これは別に、不思議なSFみたいなことでもないというのもわかる)

・まだこの世界に力を見ている(社会、過去、未来、両親、パートナー、人の目、お金、肉体などに力を見ている)

・「真の」と「偽の」などを、混同をしていることが自覚できるようになる

・とにかく、色々、自覚できるようになってくる。「わかってないことがわかった(笑)」という感じになる(ここで、恥や罪悪感が出てくる場合もある)

※「気づく」というのは、「知識として知ってる」「頭ではわかってる」ということじゃないです。

 

 

 

段階(2)

・「二段階の正直な本音」のうち、愛からの本音と一致するようになる。それだけが自分の考えであるというところにシフトしていく

・「エゴの声」との間に距離ができる。エゴの声に段々と脅威を見なくなっていく

・外側に問題を見たとき、自分の心の中の問題だということ(投影だということ)に気づいている

※この世界(過去、未来、他者、人の目、お金、肉体、エゴ)を「なんとかしよう」というのが無意味であることがわかるので、そういう気持ちは自然と起きなくなる

※(1)や(2)の段階では、「他者に向けていた攻撃性」が、実は全部自分に向けていたものだった、ということを実感するというか、そういう時期があることもあり、その場合、「自分を許せなくて、非常につらくなる」ということがあります。

※この辺りからかな?悪口や批判や非難などは、全て「エゴの自己紹介」に聞こえるようになります。

 

 

 

段階(3)

・自分をゆるせるようになる。無条件の愛に心を開けるようになる

・エゴもゆるせるようになる

・内なる神聖性による、ゆるしや癒しを受け入れられるようになる

・(すでにすべてを所有しているからこそ)手放すことができる

・手放したことで空になったところに満たされた光を分かち合うようになる

・エゴの概念、問題、ピンチなどは、他の誰かと奇跡を体験するための道具、材料にしか見えなくなる

・エゴがなんと言おうが、誰がなんと言おうが、すべてが奇跡に変わることが確信できている・腑に落ちている状態

・エゴの声にどんどん脅威を見なくなっていく

・エゴの声ではなく、神様の声(ガイダンス、ハイヤーセルフの導き、サイン等)だけに耳を澄ますようになっていく

※(2)〜(3)あたりでは、「真と偽」の区別、「内側と外側」の区別が、はっきりつくようになってきます。

※(3)〜(4)あたりでは、(0)〜(4)のどの段階にいようと、同じである(常に鏡である)、ということがわかるようになります。

 

 

 

段階(4)

・(3)であることを安定、持続して、見ている

・ 奇跡、癒しを確信していて、人々と共に体験して、その喜びを分かち合う

・神様の声(ガイダンス、ハイヤーセルフの声)だけを聞くようになる

 

 

 

段階(5)

・(4)を安定、持続して、見続けて、広がり続ける、深まり続ける

・「♾️」という感じ

 

 

・・・こんな感じです。

これを「正解」にしたり「鵜呑み」にしたり、するのではなく、ふわっと、感じていただけると幸いです。

 

 

これを、直線的に進んでいく、というものでも、ないと思います。

「(1)と(2)」がダブったような時期、みたいなものも、あると思います。

 

 

そして、「(0)から(1)へ」「(1)から(2)へ」が、一番時間がかかる段階、そして、苦痛を伴う段階、だと思います。

(2)から(3)へ、(3)から(4)へ・・・と、ときに、行ったり来たりするようなこともありながらも、

経験を深めていくうちに、どんどんスムーズな感じ、安心感、確信が深まり、深刻視しなくなっていきます。

「行ったり来たりするようなこともありながらも」と書きましたが、奇跡の体験を重ねていくうちに、確信は深まっていくので、ブレなくはなると思います。

 

 

自分と向き合うことを決めた(1)から「奇跡のような体験」は、はじまります。

たくさんの「これって奇跡かも・・?」という、優しい、素敵な体験を重ねながら、自分の中にある愛に心を開いていきます。

 

 

ここでいう「自分の中にある愛」というのが、言い換えると「内なる神、神聖性、創造性、成就の力そのもの」です。こことの信頼関係が、鏡のように、この世界に映し出されているだけ、というのも、実感していくようになります。

(2)〜(4)からは、真の意味での「自己実現」、使命を生きる、というのを、自然と経験しはじめます。あるいは、より、深まっていきます。

心の幸せが反映した世界を、喜びと共に生きることになります。

 

 

(1)から(5)へと段階が進むほどに、自分と他者への愛も深まります。

安心感、幸福感、充足感、心が満たされている感じ、心が安らかな感じ、平和、穏やかさ、慈悲、正直さ、素直さ、純粋さ、信頼、感謝・・・そういった感じが、自然と出てくるし、それだけでなく自然と深まるようになり、

それが、安定し、持続するようになります。

(3)か(4)以降では、時間、空間、肉体に関する制限も超えていきます。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、セラピスト、カウンセラー、ヒーラー、メッセンジャー等々のライトワーカー側、というのは、

「愛に開いている、愛が溢れている、愛の純度が高い」という状態です。

自己実現にしても、光への道にしても、さまざまな流派があるので、「絶対この通りだ」とは言いませんが、

「エゴを落とし、愛、光と一致して生きる」というのは、言葉や表現は違っても、大体こんな感じだと思います。

 

 

自ら(3)の、

・エゴの概念、問題、ピンチなどは、他の誰かと奇跡を体験するための道具、材料にしか見えなくなる

・エゴがなんと言おうが、誰がなんと言おうが、すべてが奇跡に変わることが確信できている・腑に落ちている状態

・エゴの声ではなく、神様の声(ガイダンス、ハイヤーセルフの声)だけに耳を澄ますようになっていく

これを体験しているということが、その準備となります。

 

 

スピリチュアリティ、光、というところで、無視できないのは、

自分が体験していることを、頭の理解を超えて、言語を超えて、非言語で伝えていく、ということだからです。

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