自己中ー自分を中心に生きる

今日は「自分を中心に生きる」という言葉が浮かんだので、ブログに書いてみようと思います。

 

自分を中心に生きる、というのは、自分の中の、ハートの感覚の、

喜び、幸せ、平安、寛ぎ・・

そういった感覚を、大事に大事にしながら、生きていくということ、持ち続けるということ、その真ん中にとどまり続けるということ。

 

喜び、幸せ、平安、寛ぎ・・

そういった感覚が胸の奥から自然と湧き上がってくるような経験は、誰でもあると思います。

「ない」という方も、忘れているだけで、あるとき、ふと、思い出したりするものです。

 

喜び、幸せ、平安、寛ぎ・・

こういった感覚って「胸の奥から自然と湧き上がってくる」と表現できる通り、

ハートの奥が、発信源、みたいな感じなのです。

なので、外側の何か(出来事、誰か、状況、環境など)からやってくるわけではないのです。

 

「外側の何かによって、喜び、幸せ、平安、寛ぎが、やってくるように感じられる」理由は、

「あれと、これは、別々」と分けて、「あれは好き(これは嫌い)」というジャッジメントをしているから。

それは、もしかしたら「あれが大好き」「あの人が大好き」とするためだった・・、ということもあるのです。

ただそれだけで、本当は、ハートの奥に、いつもいつも、喜び、幸せ、平安、寛ぎがある。

それを、持ち続けること、広がっていくのを見届けること、分かち合うことで、ますます、満ち溢れる。

自分の喜びが、そのまま誰かの、みんなの喜びに繋がってる。

とても幸せで柔らかくて優しい感じ、でもとても自然な感じで、誰かが接してくれたとき、

特別な言葉をかけてくれたわけでもなくても、特別な何かをしてくれたわけでもなくても、わたしまで、嬉しくなる。そんな感じ。

自分自身がのびのびと輝く。

・・これが自分を中心に生きる、ということ。

なので、自分を中心に生きるということは、自分とみんなの幸せ、喜び、寛ぎ、平安を中心に生きる、ということでもある。

 

じゃあ、自己中とは何かというと、おそれをベースに生きる、ということ。

おそれをベースに生きる。

おそれをベースに生きているからといって、おそれを自覚しているとは限らなくて、

どちらかといえば「自分が正しい、あなたはおかしい、あの人もおかしい、みんなもおかしい」ってなってることの方が、多いのかもしれません。

自分は正しいのに、あなたがおかしくて、あの人もおかしくて、みんなもおかしくて、誰も理解してくれない、誰も寄り添ってくれないような世界に、もし生きているとするなら、普通に考えて、恐ろしいことです。ホラーです。。。笑

「恐ろしい」ので、まずは、自分のことで、精一杯なのです。

「自分は今とても大変だから」、まずは、自分のことで、精一杯なのです。

ホラー映画なので、まずは、ゾンビから、逃げなきゃいけませんからね。

でも、恐れているときでも、ハートが幸せの我が家なのです。

そして、ハートは、いつだって、誰の中にもあるのです。

 

「それが感じられない」というとき。

それは、なぜかというと、勘違いを信じ込んでいるからで、

勘違いを信じ込んでいることに、気づけたら、それだけでも奇跡、解放を受け取ると思います。

どんな勘違いか?というと、例えばですが、

「自分が家出をしておいて、親が家出をしたと信じ込んでいる子供」みたいな感じの勘違いです。

「親が家出をした」と信じ込んでいるので、「なぜ、親は戻ってこないのか?」という問いが浮かぶのですが、

そもそも、親が戻ってこないのではなくて、自分が家に帰ればいいだけだった、みたいな感じなのです。

しかも、その自分の家、というのは、すぐ目の前にある、みたいな感じです。

大きなお家のお庭にある倉庫で暮らし続けていた、みたいな感じです。

そのハートの中で幸せを感じるということは、この世界でも幸せを体験しているということです。

どこに行っても「差」という分離がなくて、どこまでも優しい幸せが広がることを、思い出しているとき、自然と感謝が湧いてくるのかもしれません。

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