2018年から「ringoさんのおかげです、ありがとうございます」というお言葉をいただくと、
嬉しい半分、「いや違うんです」半分、でした。
この”わたしの中の感覚”は、
わたしの中では「へりくだった、謙虚な、腰が低い感じ」ではなかったんです。
「いいえ、滅相もございません、わたしなんかが」とも、ちょっと、違う。(当時のわたし的には)
でも、嬉しいのは、とっても、とっても嬉しくて。
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これまでは、ブログの記事やセッションでは「あなたのおかげです」と伝えてきました。
それでも、あるお方は、微笑みを返してくれて、あるお方は「ringoさんのおかげです」と言ってくれてました。
嬉しい半分、「いや、違うんです」半分。
これは、なんなんだろう?
たとえば、
わたしが、
「セッションで話を聞いていた」「セッションでなにかを喋った」と、した場合、
それは、ある意味では、
・今まで出会った先生、師匠等々のおかげ
・学び、教え、本のおかげ
・鏡の法則のおかげ
その日、わたしが、セッションをできたのは、ある意味では、
・うふふくんがごはんを作ってくれるおかげ。というか存在そのもののおかげ。ごはんのおかげ。飲食店のおかげ。テイクアウトOKのおかげ。
もっと掘り下げると、
・父のおかげ母のおかげ、祖父母の遺伝子で「丈夫です」と言い切れなくても、この肉体があるおかげ
角度を変えて、また掘り下げると、この世界じゃないところの話、まだ「エビデンス不十分な科学」的な話になってくる。
というか、挙げたら、キリがない。
というか、よく考えれば、関わるすべての人々、人以外も含めてすべて、となってくる。
“なにか”がある。
ここまでは「わたしから見た景色」の話。
では、クライアントさんは?
クライアントさんの背景でも、きっと”なにか”がある。
では「ringoさんのおかげ」「嬉しいご報告」って感じではない方は?
「ringoさんのおかげ」「嬉しいご報告」って感じではない方の背景でも、きっと”なにか”がある。
そしてこの”なにか”自体に、差、みたいなものは、本当はないんじゃないかって感じが、ずっとしてました。
でも、”なにか”と、”なにかのようでなにかではないもの”が、ある。
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もう「時効かな」と思ったので書きますが、
以前は「ringoさんのおかげです」というお言葉をいただくと、罪悪感があった頃がありました。
「わたしのおかげじゃない」と確信してたからです。
これ、本気で、「謙遜」のニュアンスが、わたしの中でない、なかったんですよ。
それで、前までは、心理学の先生に相談してました。流れで出会った精神科の先生にも相談しました。シャーマン(サイキック)の先生にも。
ほんとうに、もう、どの先生も最高でしかなかったのですが…
なんというか、モヤモヤが消えない。
なんだこれは…ってずっと思ってました。
2018年からずっと。年々この罪悪感、大きくなっていく感じ。
「ringoさんのおかげです」に比例して、罪悪感が深くなる。
なんだ、この罪悪感は〜。
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去年の年末だったか、年明けから、
本腰入れて、内観してました。
「ただ、みる」です。ノージャッジでみる。
これ以上ないほど、祈ってました。
ここでの「祈り」は、シンプルに「わたしと内なる神との一対一の対話」であって、
「シャーマンから伝授してもらった特別な秘法」「祝詞」「なにか特定のやり方」などではないです。
「型」から抜ける必要がどうしてもあった。
あまりにも「騒がしいとき」には、黙想、でしたが、シンプルに「わたしと内なる神との一対一の対話」。
今まで、ずっとお伝えしてきた「書き出し」の、ハンズフリーバージョン、みたいな感じです。
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そんな数ヶ月間を過ごしていた今日、ある体験を通して、
「そっか、神のおかげだ」
と、気づきました、気づいたというか思い出したというか、合点がいったというか。なーんだ。って感じ。
「わたしなんかが、神や愛を、口に出してはならない」
という呪縛が、ほどけた。(“わたしなんか”が、ここにあった!笑)
な〜んだ、ゆるゆるゆる〜って感じ。
一対一の内なる対話。
これが、わたしには、ほんとうに、必要だったんだ。
問いかけ同時に答えを受け取れる確信。それを深めていく。不確実性に安心していていい。
神という「わたしたち側からしたら謎の台本」に、わたしたちは、本当に安心して感謝して待っていていい。
想像を超えた愛の体験でしかない。
もう、とても、嬉しくて嬉しくて。
「たったひとり」にならないと、見つからなかったかもしれない。
でも、「孤独なときは、神と出会うとき」ともよく言いますが、今回はそれを深く体験しました。
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あ、そうだ。
「たったひとり」と言っても、物理的にたったひとりであるとかないとか、そういう話じゃないです。
「内なる神とわたしとの関係において」って感じです。
”それ”に、深く、安心して、信頼して繋がってるかどうか。
“それ”との間に、「外の声」がないかどうか。
「セルフイメージ=わたし」と勘違いしていないかどうか?
内観・書き出し(エゴを見る)、鏡、自愛、祈り。
これ、なんというか、マトリクス(映画のほうじゃなくて単語の意味の方)的な。
なんかもう、そうでしかないというか。
マトリクス背景なので「おもったらなる」。(映画とかけてみました)
本日にスペシャルサンクスな感じです。