「自分を愛するがわからない、そのままでよくない、ただみるってなに、その他」への答

ずっと前に「レコーディングダイエット」をしたことがありました。

何年前だったっけ。忘れちゃった。

運動するのが、一番よかったのかもしれませんが、ぜんぜん、できなかった、

できなかったというか、

続けることができなかった。

 

 

 

でも「ぽっちゃりしすぎてて、身体も重いし、痩せたい、スッキリしたい〜!」と思ってて。

たまたま見つけたのが「いつまでもデブと思うなよ(レコーディングダイエットの本)」。

たしか「食べたものとカロリーを、記録していく」というもので、「それだったら、わたしにもできそう!」ってことで、ただ記録していきました。

 

 

 

当時は「ちょこちょこ食い」をたくさんしていたので(今もちょこちょこ系かも)、

最初のうちは記録するのが大変だったし、

カロリー調べるのも、最初のうちは、大変に、めんどくさい。

というか、最初は、「1日何カロリー食べたか」を計算していくのも、なんか、こわい。

 

 

 

でも。

痩せたかったし、「食事制限」「運動」って感じでもなかったし。

なんとなく「ここに希望の光がありそう」みたいな感じもしたので、毎日、胡椒少々ほどのやる気を出して、胡椒少々ずつ、超適当にがんばってました。

 

 

 

毎日毎日、たくさんの「ちょこちょこ食い」の記録をつづけてると。

あるときは。

「自分が食べてるカロリー量や食事内容の自覚、把握」というだけなはずなのに、ちょこちょこ、罪悪感、自責の念、みたいなものが出てくる。

そんなときは「とりあえず、今は、記録してみよう」と思い直しながら、メモ。

 

 

 

あるときは。

「全然体重減らないじゃん!」と、

「自分の大量のちょこちょこ食い」は綺麗に棚にあげて、イライラする。

そんなときは「いつまでもデブと思うなよ」の帯を思い出して、

「これを超えたら、きっとわたしにも、いいことが待ってるはず(本にも表紙の方にも感謝)」って感じ。

 

 

 

あるときは。

「なんか、数字的に、大変なことになってるんですけど」という感じで、自分に匙を投げたくなる感じ。

そんなときは「俺はいいけど、あなたはなんていうかな?」という「幻聴」が聞こえる。

矢沢永吉氏のパロディな感じ。ニュアンスは無色。

そして「そうだ、わたしは、痩せたいんだった」と思い直す。

 

 

 

体重も感情も、上がったり、下がったりしながら、

とにかくただ、記録し続けてました。

 

 

 

そんなある日。

今まで書き溜めてきたノートを、ペラペラ〜っと振り返って、なんか充足感。

「こんなに記録できた〜!」みたいな。

そうやって、眺めてると、「あれ?ちょこちょこ食の量も内容も変わってる・・・」ということに気づきます。

「最初のうちって、こんなにお菓子ばっかり食べてたんだ」とか。

「全体的にタンパク質少ないな」とかも、

ただ「そっか」って感じで、把握できる感じ。

「タンパク質が少ないので〇〇しなければならない!!」みたいな感じじゃなくて

「タンパク質少ないなぁ。お肉食べてみようかなぁ。そういえば、最近お肉食べてないし、食べたいかも」みたいな。

 

 

 

(注)今では、わたしは「なにが何カロリーか?」とかも忘れちゃってるくらいなので、興味がある方は「正しいレコーディングダイエットの方法」調べてみてね。

 

 

 

「自分を愛するがわからない」

「そのままでいいと思えない」

「ありのまま、そのままが、わからない」

「ただ、みるだけって???」

と、ご質問をいただくと、この、

わたしがレコーディングダイエットしてたときのことをよく思い出しますので、書いてみました。

 

 

 

あ。

ここ数年の、わたしを見たことがある・会ったことがある方からすると

「え?なんでダイエット?」と思われるかもしれませんが、「そういうとき」もありました・・・笑

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