「何をしたらいいのかわからない」とストレートに表れている場合もあれば、
セッションの恋愛結婚系のお悩みで「結婚したいです」「パートナーがほしいです」という奥に、
「シングルではつまらない、ひとりがさみしくてこわい、何をしたらいいのかわからない、何をしたらいいのかわからないというのはこわいこと」という思い込みがあった、ということがあるし、
お仕事で「これについての仕事をしたい」「お金がほしい」という奥に、「魂から喜びたい」という思いがあった、ということもあります。
「なんかしっくりこない」「なんでもいい気もするけど、満たされてるわけじゃない」
「やりたいことがわからない」「何がどうなりたいのかわからない」
・・わたしには、この経験が、何度かあります。
そして、その奥には「魂のままに生きたい、そうして輝きたい、喜びたい」という思いがあったのかもしれません。
自分を振り返ってみて、言葉にしてみると・・という感じですが、
この「何をしたいのか、さっぱりわからない期」の後にやってきていたのは、いつも「次のステージ」みたいな感じでした。
この「何をしたいのか、さっぱりわからない期」の経験というのも人それぞれだと思いますが・・
わたしの場合は、どの時期を振り返っても「とにかく何もしない(し、できない)」でした。
これは「やる気がない」という場合もあったかもしれませんが、「やる気のようなものはあると言えばあるんだけど、なにかしようとしてもサッパリダメ」「何をしたいかわからない」みたいな感じもありました。
セッションでも、最近「何をしたいかわからない、退屈→ガイダンスを受け取りはじめる」というシンクロがあったのもあり、今、浮かんでいることを書こうと思います。
「何をしたいのか、さっぱりわからない期」についての、一つの意見だと思って聞いてください。
なので「絶対にこうだ、そうせよ」ということが言いたいわけじゃないです。
「お月様をある角度からみたお話」みたいな感じです。
「何をしたいのか、さっぱりわからない期」というのは、もう、「何もしない」というのが一番です。
不安、焦り、後悔、「あの頃はよかった」というような気持ち、おそれ、なんとかしたい気持ち・・
様々な思いが浮かんでくるかもしれませんが、浮かんでくるままにして、ほっとくのです。
というか、こういう思いを「ただ見つめる、そして、静かにして何もしない(内観する)」ということは、大前提として大事なことです。(魂のままに生きる、とか、奇跡、とか、喜びに溢れる、とか、そういう話をするのであれば、です)
想念の中においても、行動においても、なんとかしようとしない・・これはすごく大事なことです。
しかし、この「何もしない」って、エゴにとっては、
難しいこと、できないこと、やりたくないこと、恐ろしいこと、罪なこと、悪いこと、だったりもします。
※セッションでは祈る、ということを、「している」という感じですが、これは「自分でなんとかしようとしないため」だったり「ブレないため」だったり、という目的からです。祈ると、サインを受け取りやすくなるし、「自分と内なる神との信頼関係」が育まれていきます。
すると、あるとき、「こうしてみよっかな」とか「こうしてみたいな」みたいなものが、自然と、出てきます。
あるいは「以前、してみようかなと思っていて、しないままだったことを思い出した」とか、
「ずっと本当はしてみたかったことがあって、でも、どうしたらいいかわからないとか、無理だとか思って、抑圧していたものを思い出した」とか、
そういうこともあります。
これは、インスピレーションや、ヴィジョン、ガイダンスと、呼ばれることもありますが、
「インスピレーションやヴィジョン、ガイダンスなどというほどのものではない、小さな、なんでもないようなことだ」と判断を下したくなるようなことも、とても多いです。
特に「ヴィジョンを受け取りました・・!」「インスピレーションを受け取りました・・!」とかも思わずに、そのまま行動に移してた、ということも、よくあることだと思います。
なんでもそうなのですが「大きなもの」というのは「小さなもの」の奥にあるもので、「小さなもの」を見なければ「大きなもの」は決して見えないものなのです。
そうして思い浮かんだ「こうしてみよっかな」というのを、エゴが引っ込める、ということも、よくあることで・・
例えば、
・こわさが出てくる
・そんなことするの恥ずかしいと思う
・迷惑かけたら悪いと思う、誰かを不快な思いにさせたり気を使わせたら悪いと思う
・そんなことしても無駄と思う
・そんなことしても意味ないと思う
・「ま、いっか」といってスルーする
・「これはエゴなのではないか」とインスピレーションを疑う
・お金がない、時間がない、体力に自信がない、もうこんな年だし、家族が反対するかも、等々
・・という感じです。
しかし、インスピレーションやヴィジョンやガイダンスなどを受け取ったとき、というのは、もう「行動に移さなければなりません」くらいの感じです。
そして、インスピレーションって「エゴで無理やり引っ込めても、ずっと心に残り続ける」、ということも、よくあるかもことかもしれません。
あ、これを書いていて、思ったのですが。
「行動に移さないでいよう、何もせずにいよう、何も言わないでいよう」というガイダンスもよくあること、全然あり得ることなので、
この場合は「行動に移さないことが大事です」という感じです。
でも「何をしたいのかわからない、何もできない期」というような場合は、しばらく何もせずにじっとしていると、あるとき必ず、なにか、出てきます。
こういう記事を書くと、必ず「エゴとインスピレーションの違いってなんですか」というご質問をいただくのですが・・
これは、例えば「チェックリスト」みたいなものに従って「エゴなのかインスピレーションなのかを判別する」というような類の話ではないのですよ。。。
内観して、自分自身と向き合って、心の奥にある内なる神に心を傾けて・・ということを続けているうちに(大事なのは続けること)
体験を通して理解するものです。
これはもう、慣れ。完全に、慣れ、だと思います。
大事なのは続けることで、最初は途切れ途切れでもいいから続けて、あるときからは途切れずに続けるようにして・・としていく中で、「見えてくる景色」というのがあります。旅の途中で、何度もその絶景に出会うと思います。
自分のそばにいてくれる人、大切な人、今まで出会った人、これから出会うであろうどこかで待っててくれる大切な人・・
そういった人は、自分と一緒に、その景色を見るために、いてくれているのかもしれないのです。というか、わたしはそう思っています。
「これから出会うであろうどこかで待っててくれる大切な人」も、その景色の延長線上で出会うもの、
今そばにいてくれてる目の前の大切な人も、その景色を一緒に見たい、と、そばにいてくれてるかもしれないのです。