心が幸せであること、というのが、何より大事なこと、それだけが大事なこと、と言ってもいいかもしれません。
幸せなパートナーシップ、とか。幸せな結婚生活、子育て・・とか。
幸せな現実創造、とか。
肩の力を抜いて、心を静かにして、
そういった「幸せな未来」を思い浮かべようとしたときに、
頭を使わずに、自然に、
幸せなイメージが広がっていく感じがある、というときは、その波動を広げていく感じです。
けれども、
イメージが思い描けないとか、
頭が働く感じ、とか、
そういう感じがあるかもしれないときは、
潜在意識に、今、浄化できる何か(罪悪感、価値観、信念、固定観念、設定、誤解など)があるときなので、
それを見つけて、手放すと、
心の静けさを感じられたり、自然とイメージが浮かんできたり、純粋なときめきを感じられたり、
幸せを確信できたり、するようになります。
そして、この本心というところから自然と広がってくる幸せ、というところと繋がることが、
本当に大事なのですが。
例えば、この「自分なりの幸せの定義」が、実は、幸せじゃなかった、ということは、よくあることなのです。
例えば・・よくあるところでいうと・・
「相手の嫌なところも受け入れてあげたい、自分の嫌なところも受け入れてほしい」
という思い。
これだと「嫌なところがある前提」になりますし、
「自分には嫌なところがある前提」になります。
これだと、自分ではそんなつもりなくても、「減点方式で行く気満々」みたいな状態と、ほとんど同じ感じになります(これがいわゆる無意識の信念)
「相手の嫌なところも受け入れてあげたい、自分の嫌なところも受け入れてほしい」
もっというと「相手に嫌なところがあっても我慢するわたし。相手に嫌なところがあっても自分を犠牲にするわたし。あなたにも、そうしてほしい。それが愛」となってたりして、
もし、このことを魂が望んでなかったら、結婚を遠ざける・・みたいな感じを作ります。
だから「神様の意地悪で結婚ができない」とか「運気が悪くて結婚できない」とか「女性として」とか「出会いが」とか「年齢が」とか「性格が」とか「親子関係に問題が」とか、そういうの関係ないのです。
なので、自分にとっての「愛」や「幸せ」の「自分定義」をもう一度確認してみて、
「それ、本当?」と見つめてみるのも、いいかもしれません。
心から、それが本当に幸せ、喜び、平和、深い安心感を感じる・・
というのであればOKですが、
少しでも、ザラっとするところ、引っかかるところがあるなら、丁寧にみていきたいですね。
自分の中の内側で欠けていたブレーキが外れるだけで、
すぅ〜っと流れがかわるもの、
これは、本当に、わかりやすくて、早い方だと、翌日、流れの変化を受け取ります。