「本当の自分」というのはエゴでもないし、「外側から取り入れた考え」でもないし、「自分が作った自分」でもない。
本当の自分とは神の子。
・・このことに、焦点を合わせ続けて、一致し続けていると、
本当に、そのままでいい、ということが、ありとあらゆる角度から、感じられるようになる。
怒ったっていい、というか、我慢するくらいなら怒った方がいい。
「わたしとみんなの本当の解放、自由」「わたしの中にある本当の愛の本音と一致する」という目的を忘れなければ、
誰か、信頼できる人(直感的にこの人だったらと思える人)に悪口を聞いてもらうっていうのは、すごくスッキリ効果がある。
罪悪感を感じる機会にすることだけは、したくない。
相反する二つの感情や考えがあってよくて、矛盾は矛盾のままでいい。
「ママのことが大好きだけど大嫌い」をそのままにしていていい。
というか「割り切れない」ときって、わたしは、そういうところに、神が現れるのだと思っている。
その衝動だって、もしかしたら、神の計画かもしれない。
それを「さすがにこれは、悪いこと」「さすがにこれだけじゃ自分でなんとかしなくちゃ」とジャッジメントするストレスから解放される方が、よほど重要だと思う。
なんとかするのは、神のお仕事。
自分の仕事だから自分でなんとかしなくちゃ、というのは、勘違いだと、これからも自覚し続けられますように。
というか、欲望のままに生きればいいと思う。
欲望のままに生きる、したいようにする、というのは、エネルギーが湧いてくる。
そして、どんなときでも、
「罪悪感や自責やジャッジメントや人の目や社会の目」を軸にするのではなくて、
自分が自分の愛を認めて、生きること、
自分の純粋な内側の感覚に心を傾けることだけは忘れないようにしたい。
何か苦しいとき、塞がってる感じがするとき、自由じゃない感じがするとき、というのは、
自分じゃないものを自分だと思い込んでいるときで、
それに気づくだけでも、まず奇跡。