「内側が先(原因)で外側はあと(結果)なので、結果に執着してもなんともならない」
という”情報を知っている”からといって、
願望や欲求を諦めましょう、と言う話ではありません。
諦めたり、仕方がないと、言って、抑圧しても、意味がありません。
「内側が原因で、外側は結果」ということを思い出しつつも、
自分に素直に正直になること、そして、なにより、内なる存在に助けを求めることが、大切なことなのです。
助けを求めると、助けがきます。導きを求めると、導きがきます。
「願望や欲求や期待を持っていること自体に罪悪感を持つ」という方も少なくありませんが、
こういうときほど、紙に書き出して、よくみてみると、いいかもしれません。
頭で考えずに、心のままに、ただ書き出してみると、
何か、気づきがあったり、解放があったり、ということもあると思いますし、
光に当てる(意識化する)だけでも、心の中でモヤモヤしたままでいるよりも、浄化になります。
こんなふうに、願望や欲求などは、諦めたり、仕方がない、と言って抑圧するのは意味がない・・・どころかむしろ逆効果のようなところがありますので、よくみてみるほうがいいと思うのですが、
「絶対にこれを叶えてやる!こうならないとダメだ!」としがみつきましょう、という話でもないのです、これも逆効果というか、これだと苦しくなっちゃうと思います。
もしかしたら、なんらかの引き寄せメソッドなどで、願いを叶えようとして、叶うこともあるかもしれませんが、これだけだと、叶わないこともあるでしょう。
じゃあ、なんなのか。
なにが大事なのか、というと、
その願望を大いなる存在に捧げること、助けと導きを求めることです。(※大いなる存在、無条件の愛の象徴、内なる神、ハイヤーセルフなどなど)
願いも、欲求も、期待も、
「自分が指定したルートで、自分が思うような形で、自分が期待した通りのやつで!」というものも、
捧げます。ゆだねます。
捧げることと、諦めることは、まったく、ちがいます。
神に捧げること、委ねること、というのは「この思いを、愛に戻してください。神の道具として使ってください」ということです。
「私を変えてください」という本(Kindle)の中に「著者が長年にわたってみてきたスピリチュアルな進歩」について、第一ステージから第七ステージまで書紹介されているところがあるのですが、
「わたしもまったくそう思う」という感じだったので、全部紹介したいほどだったのですが、長くなっちゃうので、その中の一部を紹介させてください。
第七ステージ:最も強い願望のいくつかは、詰まるところ神の計画だったのだと知る。びっくりびっくり。(そうでないものは、どのみちもう望む気は無くなっている)
神はただ、あなたにリラックスして身を委ねてもらい、そして、受けとってほしかったのだ。
「トーシャ・シルバー著/私を変えてください:ゆだねることの隠されたパワー/Kindle版 159ページ」
まさに、強い願望の中のいくつかは
「わたし(わたしたち)が神とひとつであることを思い出すための神の計画」
のようなもの、とわたしも、同じことを思ったことがありました。
今では「というか、最初から、ここを目的にしつづけることが大切」と思います。効率がいいというか、変な回り道をしなくてすむ感じです。
神様は「願い事を無理やりもぎ取る」みたいな意地悪なことを、する、わけが、ありません。
むしろ、それを差し出すこと(捧げること)で、
「わたしは、神様からこんなにも愛されて、守られて、尊くて、幸せであることを望まれていたか」
ということを、体験を通して、教えてくれます。
すごくすごく、優しい道なのです。