「わたしでもわかるようにしてわかりやすく」について

先日「愛されていることを見せてください」のお祈りをご一緒してくださった皆さん、ありがとうございます。

祈った瞬間に受け取れたという方

数時間〜その日のうちに「愛されているという体験」を受け取れたという方

数時間〜その日のうちに「愛されているという体験」を受け取れたけど「でも」が出てきたという方

まだ何もないという方

ざわざわが出てきたという方

色々いらっしゃったかもしれません。

 

 

本来は祈るということ自体が愛されているということを受け取るということで、そうしたら、すぐに、その反映として、具体的な「なんらかの体験(自分自身が、自分と誰かが、心から喜びを感じられる体験)」があります。

そんなに時間はかかりません。

時間がかからない、あるいは、最短最善ルートにしてくれるのが、祈りとか、奇跡、ということでもあると思います。

もし、普段、人と会う機会が少ない、という方でも、何か受け取ると思います。

わたし自身「普段、人と接する機会がほとんどない」という中で祈っていて、変化、奇跡を受け取った体験が、昔、あります。これは「わたしだけ特別」とかじゃなくて、祈りとはそういうもの、ということを、この数年間でセッションや学びを通して確信したという感じです。

 

 

受け取っていない、という場合は、与えられていないのではなく、愛されていないのでもなく、

受取拒否、愛され拒否をしている、ということを、

どんなに、納得がいかなかったとしても、「頭の理解だけ」でも最初は大丈夫なので、受け入れる必要があります、「らしいぞ」で大丈夫なので。笑

与えられていないとか、愛されていないとか、そういうことは、ありえないことだからです。

「与えられていない、愛されていない」と信じ込んでいた人が、それを、手放したとき、受け取れるのが「こんなにも愛されている」というありえない奇跡の体験、みたいな感じでもあります。ここで「わたしが求めていた通り、あるいはそれも含めてそれ以上」となることは、よくあることです。

※ここで「期待して裏切られたらどうしよう」が出てくる場合は、コイン思考を「いいよ(全肯定)」の感覚で、よく見る、ということをしていきたいです。

 

 

それで。先日のお祈りの一番最後に、

「わたしでもわかるようにしてわかりやすく導いてください」という言葉を入れていたのですが、この言葉が心に響いた、とおっしゃる方が数名いらっしゃいました。

そのように伝えてくださり、本当に幸せです。ありがとうございます。

 

 

それで、このことについて書きたい、と思ったことがあるのですが、

「わたしでもわかる、わかりやすい導き」って。

「指示」「アドバイス」「誘い」みたいな感じでくることはよくあることです。

わたし自身、「〜しなさい」「ここはこうしたほうがいい、ここはこうしないほうがいい」という指示を、いつもきいています。笑

言葉じゃなくて、アイディアみたいな感じ、感覚みたいな感じで受け取ることもこともあります。

 

 

それで、ここで、「問題になってくる」のが。

・自責、自己否定、自分への厳しさ、自分に対する正しさ・価値観・決めつけの押し付け、禁止、

・愛への疑い

・競争意識(勝ち負け思考、勝利願望、わたしが一番になりたい、優劣思考、優越願望)

・自分は負け組だ信仰

などがあると、

「わたしでもわかる、わかりやすい導き」に、

ムカついたり、

対抗意識みたいなのを持ったり、

石橋叩こうとしたり、

疑ったり、

警戒したり、

嫌な意味合いでの支配、束縛、洗脳されるのではないかと思ったり、

することがあります。

これが意識できているか、できていないかは、人それぞれだと思います。

意識化できているという場合は、もう、それだけでも、素晴らしいことなので・・!

深刻視・問題視する必要は、本当は必要ゼロです。

 

 

この「わたしでもわかる、わかりやすい導き」って、「人を通して」とか「外側の何かを受けて」とか、よくあることというか、こっちの方が多いかな?という感じです。

なので、誰かからアドバイスをもらったり、誰かが言ってることが心にとまったり、することもよくあることです。

なので「誰かよりも自分のほうが優位でいたい」「神様よりも自分のほうが優位でいたい」というのが、無意識的にある場合は、こういった導きを遮断することがあります。

すでに「誰かよりも自分のほうが優位でいたい」「神様よりも自分のほうが優位でいたい」これが意識化できているという場合は、葛藤があったり、迷いがあったり、感情が出てきたり、することがあると思います。(・・経験者は語る笑)

 

 

あと。

「先に、〇〇を叶えてください。そしたら、動く」というのは、神聖な存在への駆け引き、取引、条件付け、

下手したら、上から目線になってる場合があります。

下手したら、上から目線というか・・

「先に、〇〇を叶えてください。そしたら、動く」

これって、ビギナーズラックみたいでそうなることもあるのですが(ならないこともある)

この心構えの場合、自分側が更新を受け入れていないと、「壁(これだけうまくいかないとか)」が出てくると思います。(・・経験者は語るパート2笑)

 

 

いずれにせよ、

この、受け取った導きに従っていく、というのは、こわく感じることは、よくあることです。

わたしも、今でも、こわく感じることや、「え?本気でそう言っておられるのでしょうか?」と感じることは、よくあることです笑

なぜなら、この導きって、この世界ではない、この世界を超えたところから、この世界にいる(と信じている)私たちへの導きだからです。

「人間という自分、個人としてのこのわたし、個別の魂」がいるこの世界を迷路に例えるなら、導きというのは、

「迷路全体が見渡せる上空」からのものです。

この上空からの指示というのは「今、右に行ったら、一番ゴールまで早い」とか「今、右に行ったら、どんどん幸せになって、悪夢を忘れるモードに近い」とか「真に、完全に、自由であるために」とか、そういう感じの指示です。

これは、望めば、誰でも受け取れるようになります。

 

 

それで、この指示って、タイミングにかかってるようなところも、なくもないので。

受け取ったら、すぐ、行動。

受け取ったら、すぐ、動く。

って、すごく大事ですし、

いつだって、今、内なる神聖な存在と対話し続けることが、大事なのです。

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