何を今更、というタイトルですが。
問題は「物質」「現象」「相手」など「外側」には、ないのです。
これを、エゴは、すぐに忘れさせてくれる。何度でも、忘れさせてくれる。それが、エゴのお仕事って感じ、です。
エゴというのは、根拠のない空想を作り続けて、それを守ろうとする、働き、みたいな感じです。
一度、これを受け入れなければ、「なにが、ほんとうに快で不快なのか?」という、この自分の感覚と思っているものさえ、わからないものなのです。
「いいえ、わかってます」というのは、エゴです。わかっているなら、苦悩は存在しない、ということを痛感しているでしょうし、なにかが起きたときどうあればいいかを知っているでしょう。
わかっていないのです。
なぜなのか?
それは、自分ではないものを、自分だと、思い込んできたからです。
「恐れ」という幻想を選択しておきながら、そのことを感じないように、麻痺させてきたのです。
自分の内側にいる「小さな自分の声」を、ずっと無視、麻痺させてきたのです。
この、感情・感覚・正直な本音の麻痺、というのが、たとえば「関係性の問題」「音信不通」などにつながります。
「関係性」というのは、人間関係もそうですし、お金との関係もそうです。
わたしがわたしの声を無視し続けてきたから、「しっくりこない現実」みたいな感じになってた、というだけです。
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問題は「物質」「現象」「相手」など「外側」には、ないのです。
このことを、痛感する、何度も思い出すだけでも、「見え方」が全く違ってきます。
「見え方」が全く違ってくる、今までと違った見え方がしてくる、ということはすでに、
今までのパターンの外に出ている、ということです。
※ここから「なにをみるか?」「どうありたいのか?」というのが、また、現実を作ってきます。
ただ、不足感や不安感や恐怖などから「もの」を買い集めたって、その「もの」が、自分を幸せにしてくれるわけではありません。一時的な「快感」はあるでしょう。「快感」のあとは「欠乏感」や「恐れ」などです。この繰り返しをしてきたことを自覚する必要があります。
その「もの」にたいして、「自分はどう感じるか?どうあるか?」という、「自分の内側」というのが、
「物質」「現象」「相手」などに現れているだけです。
ある国の方が「日本は経済的に豊かだし、ITも発展しているし、便利だし、清潔だし、夢の国のようだ」と言っていました。
わたしたちは、その夢の国で、なにを感じて、どう生きているのでしょうか。
「ものに恵まれすぎた」という結果が、これ、なのです。
平和ボケしすぎて、問題視をし続ける、みたいなところも、あるのかもしれません。
答えは心にしかないですし、
「心を満たしてくれる、ありがたい、物質的豊かさ」も、内側にしかないのです、内側のあり方にしかないのです。
これが、はっきり、くっきり、気づくと、時間・空間・年齢・細胞さえも、潜在意識(集合無意識)に、まるで埋め込まれているように存在する思い込みにすぎなかったことを知ることになり、
そういったものに関する「悩み」「問題」「障害」を超えることになり、脅威でも苦悩でもなんでもなくなる、ということです。