ある日、ふと「ずっとそのままにしてあった、使っていない、壊れたパソコン」のことを思い出して、
「リサイクル業者さんに連絡しなくちゃ」と思いつきます。
この「壊れたパソコンをリサイクル業者さんにとりにきてもらうこと」を、わたしは「めんどくさい」と反応し、しばらく、そのままにしていました。
気になりつつも、数ヶ月間も、「めんどくさい」と反応し、そのままにしていました。
この「めんどくさい」という感じ。
なんだか、気が重くて、何も考えずにさっさとすればいいところを、「明日でいいよね」という誘惑に「そうだね」と言いながら、
何ヶ月間も「ああ、今日こそパソコンを・・・」→「明日でいいよね、そうだね」→「忘れる」→「思い出す」→「ああ、今日こそパソコンを・・・」→「明日でいいよね、そうだね」→「忘れる」→「思い出す」→「ああ、今日こそ・・・」の繰り返し。
今思えば、じわじわとくる苦行のようです。
この「めんどくさい」って、「ちょっとした、どうでもいいこと」のようでいて、厄介です。
何がそんなに、嫌なのか?何をそんなに、遠ざけようとしているのか?
とてつもない労力、体力、エネルギーが必要で、消耗しているような気でもしていたのでしょうか。
それで、あるとき、やっと、この苦行(?)が完了しました。
(その間も、わたしは、毎日「自分はもう退きます。この身体を、この個人を、明け渡します」と祈っていました)
リサイクル業者さんを調べて、インターネットから必要事項を記入して申し込みボタンを押して、決められたサイズのダンボールを用意して、ダンボールにパソコンを入れて、宅配業者さんが取りに来てくれる日を決めて、待つ。
たったこれだけ。
「決められたサイズのダンボールを用意して」というところが、また、「めんどくさい・・・」という小さな声が聞こえたところでしたが、
まさに天の導き・見事なシンクロにより、決められたサイズのダンボールを、ひょんなことから、ひょんな方から、ジャストなタイミングで、いただくことに。(かなり感動でした)
タイミングがいいときというのは、神がいるとき、と聞いてきましたが、まさに、神がいた(内なる神と一致していた)のでしょう。
数ヶ月間、めんどくさい、と思い続けてきたことですが、「たったこれだけなの」という感じでした。タンポポの白い綿毛を吹くかどうか、くらいの感じです。しかも、天の導きという、感動付き。
宅配業者さんは、約束した日時に取りに来てくれて、壊れたパソコンはリサイクル業者さんの元へと無事旅立ちました。
とても、スッキリしました。よかった〜、スッキリ、という感じです。
めんどくさいと言って、先延ばしにしてきたのは、このスッキリ感だったのか、と思いました。
うっすらと「めんどくさい・・・」という声がしたとき、経過観察をしてみると、
大抵、その後、スッキリしてるか、よかったと思ってるか、意外となんともなかったと思ってるか、だなぁと思いました。