この世界においての未来を知るとき、それは、まるで、映画のワンシーンを見るようなこと。
自分の未来を知るときも、それは、まるで、映画のワンシーンを見るようなこと。
誰かの未来を知るときも、それは、まるで、映画のワンシーンを見るようなこと。
ここで「いいこと・悪いこと」「好きなこと・嫌いなこと」というジャッジメントがあると、それは、自分が「見たくない」となる。
けれども、「いいこと・悪いこと」「好きなこと・嫌いなこと」というジャッジメントから自由であるとき、それは、映画のワンシーンを見る感じ。
ここで、よく、
「過去や未来を知っているなら、すべてがうまくいくのでは?」
「”悪いこと”を予め避けることができたんじゃないの?」
という質問がある。
けれども、その質問に対して、わたしは、
「その、すべてがうまくいくって、あなたにとって、どういうことなんだろう?」
「その、”悪いこと”という判断は、何を基準にしているのだろう?」
という問いが浮かぶ。
「すべてがうまくいく」ということは、何を意味しているのか?
「すべてがうまくいく」ということも大事だけど、もっと大事なのは「わたしが今感じていること」だと、わたしは思っている。
そして、その「わたしが今感じていること」が「わたしやあなたやみんなの心からの幸せ」と一致していたら、それは、とても素晴らしい、天からのギフトだと、感じる。
この世界においての未来を知るとき、それは、まるで、映画のワンシーンを見るようなこと。
自分の未来を知るときも、それは、まるで、映画のワンシーンを見るようなこと。
誰かの未来を知るときも、それは、まるで、映画のワンシーンを見るようなこと。
「いいこと・悪いこと」「好きなこと・嫌いなこと」というジャッジメントから心を解放していくと、自分が「見たくない」と、拒絶することが、だんだんと、少なくなっていく。
「そっちに行ったら、行き止まりだって、わかっていたのに、なぜ、そっちに行ったの?」
それはね、そのとき、わたしの心の中に、神様よりも、わかりたいと思っていた人が、いたからだよ。
神様のところに戻る前に、あなたのことをわかりたい、と思っていた人が、いたからだよ。
この世界で、わたしは、あなたから、確かに愛されていて、愛していたと、どうしても、どうしても、感じてみたい、という、そのときの今の自分の気持ちに従ったからだよ。
そして、現時点のあなたは、「行き止まりだ」と思うかもしれないけど、わたしにとっては、行き止まりではなく、そのとき、わたしの目の前には、天国への階梯が現れていたんだよ。
過去を祝福したから、未来が祝福されているのがわかるの。
それは、ほんとうに未知であって、ほんとうの未知というのは、どうやら、とてつもない愛のようなんだ。