「なんかモヤモヤ、なんかヤダ」

この、なんかモヤモヤする。なんかヤダ。なんか違和感を感じる。なんか不快感を感じる。

これこそ、内観の、チャンスだよなぁ、と思います。

これを、ただなんとなく、とか、直感、と判断したり、見て見ぬふりをしたり、自分の中で持ったままあたためておいたり(?)、「まぁいっか」と抑圧しても、解決にはなりません。

このような、ネガティブな感覚や、その感覚を引き起こしたと思える(その感覚と結びついている事象など)を、丁寧に、ただ見ていく、ということを続けると「手放す」「差し出す」の感覚も掴めてくると思います。

 

 

「なんかモヤモヤする」「なんかヤダ」「なんか違和感」「なんか不快感」「なんか抵抗感」

みたいな、この感覚・感情について、問いかけしながら、丁寧に見ることは、大事です。

ハッキリした言い方をすると、これを「まぁでも大したことないし、いっか」とするのでは、自分に対してあまりにも雑すぎます。

敏感、繊細さんほど、自分のこういったことに対して、敏感、繊細になり、丁寧に向き合っていくことができたら、それこそ、その繊細さは、弱さではなく、真の強さ、となるのではないかと思います。

 

 

どうしても向き合うことが困難に感じる場合(パニック状態、混乱状態、おそれ・ジャッジが強い状態)ということも、あるかもしれません。

「このテーマだけ、うまく見れない」ということも、あると思います。

わたしは、どちらも、経験ありました。

 

 

世の中にはたくさんの解決法や対処法、メソッドがありますが、「これさえやっておけば大丈夫」ということではなくて、重要なのは、本当の原因は内側にあるので、ここを見ない限り、解決とはならず、問題は繰り返されます。いろんな形をとることもあれば、同じパターンが繰り返されているということもあるでしょう。

外側の何かが問題なのでもないし、外側の何かが解決してくれるのでもないのです。

 

 

Amazonのレビューで「この本に書いてあることは、他の本にも書いてあるようなことだ。目新しいものでもなんでもない」ということが書いてあったのを読んだのですが、それってつまり、真理をついているのかもしれない、と感じたのです。

根本的なことへ導くもの、法則、というのは、一つだからです。その一つが、全てでもあります。

 

 

だから、法則は(この世界の統計ベースの成功法則などではなくて、真理や原理原則)

「食堂のメニュー」みたいに、種類豊富に、たくさんのものがあって、

「どれが一番美味しいか?(この食堂の当たり的メニュー)」

「逆にどれはイマイチなのか?(この食堂の苦手かもしれないメニュー)」

「どれを選べば間違い無いのか?」

などの話ではないです。

 

 

そして、このシンプルなこと。

日常の中で自分がすることといえば、内観と解放を続けることが、どんなに大切で、無限の可能性を奇跡を通して経験させてくれるか。

このことを続けられるのは、「自分の自己否定がなかなか終わらず苦しいからです」とかではまったくなくて。

このブログやセッションを続けられるのも、その法則が素晴らしくて、やることはシンプルなんだけれども、広がりがすごいし、いつも「自分の予想」などは超えてくるのです。

だから、

(1)自分が予想する目標としての願望成就、自分の努力により問題解決、をしたいのであれば、具体的対処法・努力をすべき、そういったところのサポートをしてくれるところの門を叩くべきなのですが(あえて、べき、と書いて見ました)

(2)「奇跡」というのであれば、そういった「自分の計画、判断、決めつけ、指定するルート」はすべて手放して、預けて、ゆだねることを、受け入れる必要はあります。

奇跡を受け取れないのではなくて、実は、奇跡はすでにあって、それを受け取らないようにしているのは、わたしたちの方です。

例えば、「自分の計画、判断、決めつけ、指定するルート」を持ったままにしていると、その導きを受け入れられないということはよくありますし、疑いや不信感(盲信)があっても、受け入れられないことはあるでしょう。

 

 

(1)は、例えば「身体を鍛えるためにジムに行く」とか「経済的な面で、今よりもよくしたいから、ファイナンシャルプランナーさんに相談する」とか「結婚したいから婚活カウンセリングを受ける」などです。

「願いをゴールにして、そのために〇〇をして、目標達成を目指す」というところで言えば、こちらの方が、専門だというところは多いと思います(もちろん、そうじゃないところもあると思います)

でも、もし、そうはしないで、あるいは、そのような目標達成だけにフォーカスしないで、「奇跡」「宇宙の法則」などを実践理解しようとしているのであれば、それは、なぜなのでしょう?

ここも「ただなんとなく」とせずに、問いかけて、耳を傾けてみると、それだけで何か気づきが得られるのかも知れません。

 

 

(2)「奇跡」「宇宙法則」「内側に原因、心がすべて」に辿り着いている、興味を持っている場合。

ここは「願いをゴールにして、結果を目指す(達成感)」ということとは、真逆をいきます、というよりも、この思考パターンは手放しながら、「今」にフォーマスしていきます。

今の原因と結果はイコールだからです。内側が外側に映し出されます(内側=外側、鏡)

「目標を据えて、ゴールを目指す」これは、ゴール達成・願いが叶う(未来に)というものを作ることになり、

これはひっくり返していうと、今と未来は、分離していて、「叶ってない今」「それが足りない今。欠けている今」を作ることになります。

原因=結果なので、目的が不足感なのであれば(あるいは不足感の裏返しの求める気持ち)、結果は不足感なのです。

「今叶ってない」のであれば、ずっと叶ってない、となるし、今はない、未来にはある、と分離しても、(束の間の「喜び」はあったとしても)、「ない」を受け取り続けることになります(実際にそうなってると思います)

 

 

(1)を否定しているとか、効果がないとか言いたいのではなくて、ただ、事実として、さまざまなことが、真逆なのです。

ほんの些細なことを一つ内観して解放して、思考が逆転していく中で、自分の心の奥にある唯一の存在・大いなる存在を信頼する中で、「奇跡」「問題解決」となるのです。

「人間である自分や誰か」の努力により奇跡や問題解決となるわけではないので、「これは難しい、これは簡単、これは微妙」「普段の行いが悪いから叶えてあげません」などもないのです。

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