「期待と裏切り」について

期待と裏切りはセット、というのは、自我の話です。

 

 

なので

「ああ、外側に期待してた、だから裏切られたと感じた(裏切られたと思える出来事があった)のね!」

「ナーンダ、スッキリ♪」

となれば、それでもう解放(気付き)なのですが。

 

 

ここで「期待してしまいます、ということは裏切られるということでしょうか(どよ〜ん)」となる場合。

ちょっと、いったん、話を整理してみますね。

 

 

内側が先、外側はあと、です。

内側がその1、外側はその2、ですよ。

なので、

(1)内なる神を裏切ったまま、本来の自分を裏切った

(2)外側(この世界の人、なにか)に、期待した、求めた

(3)「裏切られた」と言いたくなる人や出来事が起きた

この順番です。

・・・つ、伝わっておりますでしょうか。。。

もし「???」という方は、そうらしいぞ、あるいは、そうだったとしたら、という感じにしてください。

 

 

(1)に、まだ気づいてらっしゃらない方は、(1)に気づくだけで(そんな自分と一致するだけで)・・・すごいと思うのですが。

(ここで、なんらかの、シンクロや、しるしのようなものが現れる方も多いのですが)

 

 

「自分には、神聖性などない」

「自分は欠けた存在、ダメな存在、不完全な存在である、自分には愛する力も認める力もゆるす力も決める力も手放す力もなにもない!」

と信じ込んでる時点で、自分への裏切り、なのですが。

 

 

 

そのような場合、「外側への期待、欲求」などを、すべて神(宇宙、創造主)に求めます。

求めます。求め続けます。

信じます。信じ続けます。

乞います。乞い続けます。

恋します。恋し続けます。

神は、すべてに、答えます。

 

 

 

とにかくなんでも「報連相」しながら、求めて求めて、委ねて委ねて、

「自分の計画」を預けます。これを、続けます。

完全なるサレンダーです。

「わたしはなにもわかってません」「わたしは間違ってました」

首を垂れるような気持ちで、安心して、このように言えるとき。

まるで、それは、神の背中で静かに背負われてるようなとき。

完璧な幸せを受け取ってよかったんだ、と安心してるとき。

 

 

 

・・・外側に求めた期待を、神に求めれば、神は全てに答えます。

どのようにして?「わたしたちがちゃんとわかる形で答えてくれます」です。

重要なのは「自分の計画より神の計画を信頼すること」「自分でルート指定しないこと」です。

 

 

 

行きつけの居酒屋さんで「大将のおまかせで」っていうのがあります。

それで「やっぱ、大将、わかってるよね〜」ということもあります。

もちろん、その居酒屋の大将も、すごいですが、

神の管轄は「宇宙の最高最善」「わたしとみんなの完璧な幸せ」「奇跡の采配」です。

神は唯一無二の完璧なので、もちろん「今日はイマイチだったかな」などは、ありえないことなのです。

 

 

 

これは「お気に入りの行きつけの飲食店」などが「ある派」の方なら、共感していただけるのではないか、と思うのですが(わたしの勝手な思いつきかもしれませんが)

「お気に入りの行きつけの飲食店」がある方って、そこのお店の方に、メチャクチャの敬意があったりして、その現れとして、

完全に信頼しているからこそ、なにも言わない、みたいな、雰囲気。

伝わりますでしょうか・・・。

あーじゃこーじゃ言わない。

「あれ、〇〇産じゃなくて、△△産のやつなの〜?〇〇の方がいいのに」など、口が裂けても言わないというか、思いつきもしない。

だって、わたしのお気に入りの行きつけのとっておきのお店ですもの。という感じです。

「あれ?なぜだろう?」というときは、きっと、わたしが思いつきもしない素晴らしい理由があるはずなので、その説明を受ける、ということはあるかもしれません。そこから、あたたかな、心の広がりを感じられるのも、また、お気に入りのお店がお気に入りである理由なのです。

いずれにせよ、もう、絶対に、美味しいものが出てくる、何もかもが素晴らしいと、わかってます、みたいな感じです。

これを、神に対して、そうする感じです。

(・・・わたしの勝手な物語で、全然伝わってなかったらごめんなさい笑)

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