自分でやること。
「9.9他力(神力):0.1の自力」の、0.1の自力の部分です。
【登場人物】無条件の愛の象徴の存在(神様、ハイヤーセルフ、観音様、天使などなど)、そして、自分
無条件の愛の存在の象徴、ここでいう「神」というのは、内なる神を指します。
言い換えると「自分の中にある、自分よりも遥かに大きな、想像もできないほど大きな何か」みたいな感じです。
【前準備】原因は外側ではなく内側にある、ということを思い出します。
すべての原因(問題、悩み、願いを叶えたいのに叶わないもどかしさ、迷い、苦しみなどの原因)は、外側(この世界、誰か、肉体など)ではなく、内側にある。ということを思い出します。
外側(この世界、過去、未来、他者、肉体)は結果であって、結果をなんとかしようとしても時間の無駄、もし一件解決するように見えることがあったとしても、また問題を作り出します、ということを思い出します。
(1)無条件の愛の象徴と一緒に、自分の心を、見ます。
内観の部分です。
なぜ「無条件の愛の象徴と一緒に」かというと。
自分がエゴと同一化しているときに、エゴと同一化した状態で何を見ても、「裁く対象」「不平不満の対象」「深刻視の対象」となることがあるからです。
「それを超えたところ」からの視点、というのは、誰の中にもすでにあります。「ないとしか思えない」と思ってたとしても、あります。
これは、練習を繰り返していく中で(このステップを繰り返していく中で)、誰でも、それを感じられるようになります。
その部分に、毎回、つながる意図をきちっとしていく(祈る)、という感じです。
(2)不要なものを不要なものだと、ただ、認めます。
「不要なものを持ってました」と、ただ、認めます。
「ただ、認める」というのは、裁いたり、分析したり、問題視したり、深刻視する必要がない、ということです。
「ああ、このような信念・価値観を持ってるなぁ」という感じです。
ここで「気づき・解放」が起きる場合もあります。起きない場合もあります。
「気づき・解放!!」となれば「感謝!!」となったり、愛で溢れたり、するので、そのまま愛と感謝を捧げます。
気づき・解放が起きない場合。一回で気づき・解放とはならない場合の方が多いと思います。その場合は(3)へ・・・。
(3)不要なものを、必要ありません、もうこれ入りません、と無条件の愛の存在にお渡しします。
わたしは手放します。
わたしはもうこの思いを持っていたくないです。手放したいです。手放せるようどうか助けてください。
・・・と祈ります。
このときに「無条件の愛の存在にお渡ししたので、完璧な愛の体験(奇跡)を受け取ることになる、ということを、先に信じて、確信して、感謝する」感じです。
・・・おや。「先に信じて、確信して、感謝するとか無理」という声が聞こえてきました。
どうしても無理だという場合は無理をせず、「無条件の愛の存在にお渡ししたので、完璧な愛の体験(奇跡)を受け取ることになるということを、自分はまだ信じられないけれども、信じたいです」みたいな感じで、正直になる、素直になる、ということが大切です。
以上です。以上で終わりです。なので、以上を簡単にまとめると
(0)原因は外側ではなく内側(心)と思い出す
(1)神様と一緒に自分の心をみる(内観、書き出し、などなど)
(2)不用品を不用品だと認める
(3)神様に「この不用品、もういりません、手放したいです」とお渡しする(お願いする)
あとの9.9は、神がしてくれます。なので、奇跡を受け取るので楽しみに待ちます。
これだけです!!!!
これは、やればやるほど、スムーズにできるようになります。
このステップは「修行」「苦行」のように感じられるということは、よくあることなのかもしれません。
しかし、続けていくと、塩粒ほどの自力でいいのだ★ということが感じられてきます。(なので、深刻に心配になる必要もないです)
ずっと続けていると、「問題」「事件」「ハプニング」に思えるようなことがあったとしても、すぐに(※)、奇跡を受け取るためのものだと思い出して、受け取れるようになります。
この「すぐに思い出す」の思い出すまでの時間が、どんどん短くなる感じです。
迷う、とか、悩む、という感じにならなくなってくると思います。自然と執着しなくなります。
そして不思議なことに、執着しなくなるほど、前ほしかったと思ってたものが手に入るとか叶うとか、与えられるようになってくる、ということは、少なくありませんというか、よくあることです。
以上は、内観、浄化、のステップ、ということもできますが、
この内観、浄化、と、奇跡は、セットというか、この浄化なくして、奇跡はないです。
この浄化をしていく上で「鏡の法則」「自我とはこういうもの」などの知識が助けになってくれます。
その知識があることで、何が不用品なのか、見分けがつかないからです。
不用品を家宝だと思ってるようなことは、よくあることなのです。
不用品を家宝だと思う、というのは、例えば「わたしは愛されるにふさわしくない存在である」という信念(不用品)を、
事実である・真実であると信じ込んでいたり、
あるいは、その信念にメリットを感じていたり。
愛されないと思い込むことのメリットというのは、例えば、愛を求め続ける試し行為や、親や社会などのせいにしていられる(自分の心と向き合わなくて済む)などです。
被害者意識にとっては、自己否定的なセルフイメージというのは、メリットになることがありますが、
「被害者意識=自分」なのではありません。
被害者意識と同一化しているだけであって、被害者意識そのものは、本来の自分ではない、ということを受け入れることも重要です。