これは、確か、2020年か2021年頃だったと思う。
ちょうど、ringoブログ前編(旧ブログ)から、ringoブログ後編(このブログ)へと、引っ越したいと思いはじめる少し前だったと思う。
「癒すことは癒やされることなんだ」と思った。
「癒すことは癒やされること」だなんて、こうやって文字にしてみると、どこかの本に書いてありそうな言葉、みたいなかんじもしますが、もしそうだとしても、
「癒すことは癒やされることなんだ」と、なんというか、「そうだわ・・」、みたいな感じで思った。
ちょうどその頃「なぜ、わたしは、今、こんなに、何もないんだろう?(こんなにも静かで満たされているんだろうの意味)」と思っていたと思う。
もちろん、そう思っていない日もあったと思うけど、「なぜ、こんなにも静かで幸せなんだろう」と、感動している日々も、今まで体験したことない感じで受け取っていたときだった気がする。
「なぜ、わたしは今、こんなにも、何もないんだろう?(静かで満たされていて幸せという意味)」
そんなふうに、問いかけていたからかもしれない。
だから、いきなり、
「癒すことは癒やされることなんだ」
と、ピッタリと、感覚したのかもしれない。
それから、少し後に、奇跡講座を学びはじめることになって「愛することは愛されること」ということについて、なんというか、自分が、これ以上ないほどに、削ぎ落とされていく感じでした。
「何もない」と思っていたけれども、まだ何かあったということです。
「与えることと受け取ることは、真理においてはひとつである(奇跡講座 W-pI.108)」
「私が癒やされるとき、私ひとりが癒やされるのではない(奇跡講座 W-pI.137)」
このワークブックのレッスンだって、ちょっとでもタイミングがずれていたら、
「そんなのわかってる」とか「わかった」とか、なっていたのかもしれない。笑
だから、だいぶ昔に、本屋さんで奇跡講座を手に取って「これは、後で読むやつだ」と思ったんだけど、あれで、よかったんだ。
ずっと、完璧に、導かれていたのかもしれない。
癒すことは癒やされること。
これまで、たくさんセッションさせていただいて、たくさんの方の中の神聖性を見せていただきました。
その方の中の神聖性がなすことを見せていただきました。
たくさんの方の癒しのシェア、奇跡の体験のシェア、言ったらいいのかわかりませんが、
神様に愛され、守られ、導かれている、その方の中に偉大なる力があるということを、共に喜べるという素晴らしい機会を、たくさんいただきました。
クライアントさん、そして、読者の方に、心から感謝です。
このブログだって、「わたしひとり」が書いたわけでは決してなくて、みなさんとともに書いている。
だから、ブログを書くのが、とっても、好きなのかもしれない。
今も、祈っています。
たまに、祈っているときに、(しばらく会っていないけれども)心の中でお会いする方もいらっしゃいます。
もしかしたら、その方も、祈ってるのかもしれない、なんて、思ったりしています。
求めれば、与えられます。
それは、つまり、必ず与えられているもの(すでに与えられ続けているもの)を求める、ということでもあるのかもしれませんが、
最初は、それが、なんなのかわからなかったり、あるいは、外側から取り入れた情報で「これってこういうことですよね」となったりしちゃう。
でも、神様は、ちゃんと、問題のあるところに答えをおいてくれている。
「自然にしとけば大丈夫」くらいの感じで、わかりやすく、答えをおいてくれている。
でも、自分で難しくしちゃって、わからなくなっちゃうことは、よくある。笑
そんなとき、助けてくれるのは、いつだって「人(霊的兄弟姉妹)」なんだなぁ、と思います。
なんというか、すごく、しみじみそう思います。笑
もう、何十年も「わたしは対人恐怖症で人見知りでなんとかかんとか」という自己紹介文を首から下げて歩いていたので、
なんというか、温泉にでも浸かっているような気分です。笑
本当に、ありがとうございます。