祈りとは???

祈りとは、神聖な存在との対話・コミュニケーション、ということもできると思います。

神聖な存在への問いかけ。

神聖な存在へのほうれんそう(報告・連絡・相談)。

そして「お返事」を、感じる。受け取る。感謝する。

「お返事」と書きましたが・・「Aさんからの回答を聞く」みたいな感じではないです。

「お返事」は、感じるものです。

「お返事」を感じられないこともあるかもしれませんが、

この場合は、内観、マインドウォッチング、浄化と、

「お返事は常に必ず与えられている」ということを、何度も何度も「らしいぞ」と思い出して、

「すでに受け取ってるというてい」で、先にありがとうございますと思う、ということを、

続けているうちに、受け取れるようになり、その頃にはすでに、いつの間にやら、心からの感謝というものは自然に出てきていると思います。

 

 

このことを、特に意識していなかったとしても、

たくさんの人が奇跡を受け取ってきましたが、

無意識を意識化することは、より確かな感じ、普遍的になると思うし、加速されていく感じがしています。

 

 

神聖な存在への問いかけ。

神聖な存在へのほうれんそう(報告・連絡・相談)。

・・・と、書いていて。

わたしは、昔、人に対して、「質問する、聞く」ということと、「他愛もない話をする」ということが、とても苦手だったなぁ、ということを思い出します。

もちろん、これぞという質問とか、これぞというほうれんそうはするのですが・・・。

でも、もしかしたら、本当に本当に大事な質問だったり、本当に本当に聞きたいことだったり、本当に本当に重要なことって、

他愛もない話の中にあるものかもしれない、と思うのです。

そういう経験を、何度もしてきました。

「こんなこと言ったって、しょうがない」みたいな感じで、自分の中で「しょうがない認定」した話を、何かふとしたきっかけで「そういえば」みたいに家族に話すと、

家族は「そんな大事なこと、もっと早く言ってよ〜!」「それ、もっと早く聞きたかったよ〜!」「なんでもっと早く言ってくれなかったの〜!」みたいにいう、みたいな。

こういうことが、何度あったことか。

何度もあったのに、なかなか気づくことができてなかったんだな〜と、しみじみします。笑

気づきを受け取るどころか、わたしは「ええ〜!もっと早く言ってよ〜!」という家族のびっくりした顔をみて、

まるで「サプライズ成功」みたいな感じで、ニヤニヤするだけだったことを、思い出します。(なんだかこうやって文章にしてみると趣味が悪い人みたいだ・・笑)

それはさておき、本当に、本当に、大事なことって、どうでもよさそうな顔をして日常にあるのかもしれない、とつくづく思います。

「大したことない」と思い込んでるものほど、大したことだったりするもの。。。

 

 

これで思い出したけど、数ヶ月くらい前から、継続コースにはメールサポートがつくようになったのですが、

このメールサポートをしていると、

「セッションだけではご質問いただけなかったかもしれないと思う、でも、とても大事なこと」

を、メールでいただくことも、よくあって、メールサポートを開始して本当によかった、と思っています。

 

 

 

 

わたしは、あるときから、「思考の書き出し」を「神様へのお手紙」みたいな感じへと切り替えたのですが、

とにかく、毎日、

・思ったことや感じたことなどをほうれんそうする(どんなしょうもないことでもいいので)

・質問する(どんなしょうもないことでもいいので)

ということを、するようになりました。

そして、祈ります。

これを続けていくうちに、今まで無意識だった自分の癖、みたいなものがたくさん見つかるのですが、

「質問が苦手」というのもありました。

ただただ、聞く・質問する、という経路みたいなものが発達していないのか(?)、なぜか質問しないままで終わるとか。

でも、日中、そのことを何度も思い出して、これは一体どういうことなんだろう?と延々と考えていたりするのです。

本当は知りたいと思ってるんだけど、「こんなこと聞いたって、答えてくれるはずない」と、無意識に神様に自己否定の信念を投影をしちゃったり、してることもありました。(わたしも答えがわからないから、神様もきっとわからないだろう、みたいな投影)

「聞いてみて、答えてくれなかったら、どうしよう」とか、「1ヶ月前の答えと、今日受け取った答えが違ったらどうしよう」とか、色々思ってました。

けれども、あるときから、積極的に、聞くようになりました。

そして、目的は「(自分が定義しているような)正確な正解を教えてもらうこと」ではない、

ということに、あるとき、やっと、心が落ち着いたのでした。

そういうことではなくて、目的はもっと、別にある。

 

 

すると、本当に、おもしろいほどに、「答え」だったり「導き」だったりが、お届けしてもらえるのです。

これは、例えば、セッションやグループレッスンで、よくいただくお声でもあるのですが、

「(セッション)ringoさんに相談しようと思って、でも、恥ずかしくて相談できないと思ってたことを、ringoさんがいきなり喋りはじめて、びっくりしました」とか、

「(グループレッスン)ずっと疑問に思ってたことを、他の方が質問してくださったおかげで、その答えを聞くことができました」とか、

そういう類のことです。

わたしも、こんな感じで、誰かを通して、いろんな人を通して、「答え」を受け取ることが、たくさんあります。

けれども「祈り」みたいな感じで、目的が同じ人たちと一緒にいると、答えが受け取りやすい、わかりやすい、みたいな感じがします。

 

 

このように、答えを受け取れるのは、問うていたから、です。

「問いはこれです、これがわかりません、わかりたいです、どうぞ教えてください」と、心の中で、はっきりしていたから。

これを、祈り、という意識的なスタイル(?)でなくても、

「無意識的に祈ってる」みたいな感じでも、答えは受け取れると思うのですが、

無意識的だと、あるとき、罪悪感に襲われることが、あったりするのです。(経験者は語る。これがどういうことなのかを、解説すると、長くなるので、また今度・・)

 

 

意識的に祈っていく、聞いていく、感じたことや思ったことをお伝えする・・

ということを、続けるだけでも、随分と、癒されます。

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