「ある兵士の祈り」
大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙虚さを学ぶようにと弱さを授かった。
より偉大なことが出来るようにと、健康を求めたのに、より良きことができるようにと、病弱を与えられた。
幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、得意にならないようにと、失敗を授かった。
人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、むしろ人生を味わうようにと、シンプルな生活を与えられた。
求めたものは何一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられていた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されていたのだ。
この祈りは、アメリカの南北戦争時代に、盲目となった南軍兵士が残したものと言われていて、「ある兵士の祈り」や「ニューヨーク大学リハビリテーション病院の壁に書かれたある患者の詩」と呼ばれているようです。
わたしは、一番最初に、この詩に出会った頃、感動して、大泣きしました。ホッとして、救われた、と思ったことを、今でも思い出すほどです。
それから、何年も経ち、心が苦しくなっていたときに、この「ある兵士の祈り」のことを思い出し、検索して、読んでみたところ、「こんなこと、受け入れたくない」と、以前とは、全く逆の感想を持ったのです。
「また、あの詩を読んで、ホッとして救われたい」と思ったのに、「こんなこと、受け入れたくない」と思ってしまったのです。
「こんなこと、受け入れたくない」と思ったことが、そんなふうに思うことが、なぜか、とても悲しかったです。
そしてまた、しばらく経った頃、また「ある兵士の祈り」のことを思い出し、検索して、読んでみたところ、「ここやここは、わたしだったら違う言葉を選ぶだろうけど、その言葉の奥にあるものは、まったく同じだ・・」と感じて、心の奥がじんわりとあたたまって、呼吸が深くなるような、深く安心するような感覚を感じました。
今日、なぜか、また、「ある兵士の祈り」のことを思い出しました。
「今、心は、どのような感じを感じるか」を、感じていきたいです。
あなたは、どのような感じを感じるでしょうか。