苦しいということは自分じゃないということ

苦しいということは自分じゃないということ。

 

 

内側を見て、罪悪感を感じるということはそれは自分じゃないということ。

内側を見て、穢らわしいと感じるということはそれは自分じゃないということ。

内側を見て、愕然とするということはそれは自分じゃないということ。

 

 

「それは、自分じゃない」

「それは、ほんとうの自分じゃない」

「本当の自分自身って?」

 

 

あなたの使命はきわめて単純なものである。

あなたには、自分が自我ではないということを実証するために生きることが求められている。

そして、私は神の表現経路を誤って選びはしない。

(中央アート出版 奇跡講座上巻 T-4.VI.6:2-3)

 

 

あるとき、わたしは、恋をした。

でも、とても、苦しくて、悲しい、恋だった。

「わたしのこと、なんだと思ってるのよ」そう言いたくなってしまった。

そう言いたくなる思いが出てくることが、

「あなたのことが好きなの、大切なの」と言いたいはずの相手に対して、こんなこと言いたくなってしまう自分が、こんな思いが出てきてしまう自分が、悲しかった。

 

 

「こんなこと言いたくなってしまう自分」

「こんな思いが出てきてしまう自分」

「わたしのこと、なんだと思ってるのよ」

どんよりし尽くしていると、「わたしは、わたしのこと、なんだと思ってるんだ?」そんな問いが思い浮かんだ。

 

 

「わたしは、わたしのこと、なんだと思ってるんだろう?」

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