全力でダラダラしなければならない

「今日は日曜日!と思ったら月曜日だった」というのを一年くらい毎週繰り返しているわたしです。月曜日と火曜日を定休日にしているから、という理由ですが、飽きずに一年くらい繰り返しています。

先日、存在さんから「ちょっとあんた自分を疑いすぎるのいい加減にやめな」というご指導が入りました。これは、もうちょっとリアルな言い方をすると、実際に「言葉として音として聞こえた」とかではなくて、非言語とサインと直感(インスピレーション)による導き、という感じです。

スピリチュアルは芸術みたいなものなので、正しいとか間違いとかに捉われすぎると、わけがわからなくなります。

スピリチュアルの職業(この表現でいいのか?)の人や職業は別でも霊的感覚が鋭く強い人など、正しい間違いに捉われると、表現できなくなるか、強烈な罪悪感に襲われてもう仕事やめるしかないとなるか、体を壊すか、精神を壊すか、経済的に破綻するか、被害妄想に取り憑かれるか、躁状態になるか、などなどの予兆が現れる場合があります。

内側(自分)が十分ではないまま、外側(他者、世界)をスピリチュアル視点で見てみようとすると、「哲学者特有の苦悩」みたいな感じになります。

書いてて思いましたが、これは「芸術家特有の苦悩」と、なにか共通点があるのでしょうか。

さて。「全力でダラダラしなければならない」の件についてです。

わたしは昔、ワーカホリックでした。

ワーカホリックとは、言い換えると、仕事中毒、仕事依存症、過程嗜癖のひとつ、です。

「心身健康な仕事熱心な人」と「ワーカホリック」の違いを簡単に言っちゃうと、心身健康な仕事熱心な人は「休みだー!海で泳ぐぞー!わーい!」みたいな感じで休みを満喫できます。

ワーカホリックの場合、休みであろうが「仕事のことが頭から離れない、脳内TODOリストがどんどん増えていく、休んでる場合ではない、あれとこれとそれもしなきゃ」とそわそわして、結局休みの日も脳内で仕事してたりします。

もう一度言います。ワーカホリックとは、言い換えると、仕事中毒、仕事依存症、過程嗜癖のひとつ、です。

どんな依存症にも言えることですが「依存症は否認の病」と言われています。

そんな自分を認めるまでが、結構長い道のりだったりします。

どんな自分も、どんなエゴも、そのままでいいよ💞と認めます。

ワーカホリックなわたしも、そのままでいいよ💞と認めます。

そのままでいいよと認めます、とするとざわざわします、という人は、それも、そのままでいいよ💞と認めます。

ここまで読んで、認めるってなに、となってる方は、「そのままでいいよと認めます」と唱えてください。口に出してもいいし、心の中でもいいです。心こもってなくて上出来です。

そして「今日は休もう」という日を週に一日でもいいので作ってみて(ワーカホリックにとってはこれが大変な恐怖)

「今日は、全力でダラダラしなければならない」「意味があることをしてはならない」「無駄なことしかしてはならない」と思ってみます。

そして、ゆっくりしようとします。そわそわします。

あれもしたほうがいい、これもしたほうがいい、それもしたほうがいい、休んでいる場合ではない、なまけている場合ではない・・・

という「声」が聞こえてきます。「脳内の声」とか「考え」とか「思考」でもいいです。

この「声」とは、たとえばでいうと、ブッダが悟り開こうと修行してたときに邪魔してきたマーラみたいなもんです。

そして、マーラだな、という事実を受け入れます。

マーラを分析したり、蓋したり、改善したり、原因を突き止めようと深堀したり、ということをしちゃうと、マーラ大喜び!って感じでさらに「あれもこれもそれもしなければならない、期待に答えなければならない、無責任は罪であり罰に値する・・・」などと調子こいてきますからね。

マーラは真の構ってちゃんです。というか、「特定の〇〇さんが構ってちゃん」とかじゃなくて、マーラが構ってちゃんです。構えば構うほど、もっと構って、となるだけです。

「そのままでいいよ💞」が、一番なのです。

「愛しています」「ありがとう」もいいです。

そして、その日の夜、今日一日を振り返ってみて「やっぱり仕事しちゃった」となろうが「今日はいつもより休めたかも」となろうが、どっちでもOKです。

「全力でダラダラしなければならないのに今日もがんばってしまった自分は悪党だ」「休みの日は休まなければならないのに休めなかった自分はダメ人間だ」などなどもマーラです。

なにもかもを「そのままでいいよ💞」で覆い尽くします。

自責、自罰、責任感、万能感、自己否定、傾向が強い人にとっては、とくに、「そのままでいいよ💞」が修行となります。

わたしも、長いことやってましたが、あるときから「そのままでいいよ💞」の自動運転モードになります。そしていつの間にか、外側基準ではない、自分が心底しっくりくる心地よいリズム感の中にいる、ことに、あとからふと気づいたりします。

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