虚無感・空虚感・絶望感って、もしかしたら「エゴという思考ソフト」を使って、「神に挑んだ」結果かもしれないなって、ふと思っていました。
「神に挑んだ」。言い換えると、どんな言葉があるだろう?
- 外側に矛盾のない答えを求めた
- 外側に無償の愛を求めた
- 言葉にできない「心から欲している、普遍の、永久の、なにか」を外に求めた
というふうにも、言い換えられるのかもしれません。
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わたしが外側に求め続けていた「矛盾のない答え」には、条件があって、優しくて、あたたかいものじゃないとダメ、だったのです。
「人間は全員死ぬのだから、諦めなさい」
「寿命がくるまで、苦しんだり、楽しんだりしながら、思いやりの心を持って生きなさい」
「天災や戦争で亡くなった人も、運命だったのです。しょうがないのです」
「あなたがこんなに苦しんで、そしてそれを誰にも理解してもらえないのも、運命なのです。仕方がないことだと、諦めなさい」
「あなたがなかなか人間関係がうまくいかないのも、恋愛がうまくいかないのも、運命なのです。みんながうまくいっていても、あなただけがうまくいかないのは、運命なのです。受け入れるしかないのです」
わたしにとって、こういったことは、「優しくて、あたたかいもの」とは言えなかった。
そして「優しくて、あたたかい答え」を求めつづけました。
すると「死んだあとには、天国に行く」とか「自分次第で運命は変えられる」とか、そういったものに、出会いました。
「死んだあとには、天国に行く」と聞いても、わたしは「じゃあ早く死にたいです」と思うほうだった。
「じゃあ、早く死にたいです」と思っていると、その「優しくてあたたかいもの」は「自殺者だけは、天国に入れません」と、条件をつけてくるではありませんか。
条件をつけてくる時点で「それはわたしの求めているもの」ではありませんし、「お前は天国にふさわしい、ふさわしくない」と選り分ける目、みたいなものを、感じてしまって、おそろしくなってしまった。
それ以降も「死」というのが頭から離れず、もがいていたところ、「自分で死のうと思って死ねるわけではない」ということを、体験を通して、わかった。
自殺しようとしても、死ぬ人と死なない人がいて、その「いのち」というのは「自分」が決めているのではない、ということを、体験を通して、学んだのです。
言い換えると、これは「自分の意志」などない、ということを、はっきりと知った、出来事だったのです。
「自分で死ねる」という「逃げ場所としてのアイディア」が自動的に消失した出来事でもありました。
それからしばらくしたあと。
寿命が早くくることを願っても、願わなくても、わたしはなんとか生き続けて、とにかく息だけ吸ってればいい、と、自分が自分に与える課題を最小限にして、息だけ吸っていたら、ごはんが美味しく感じられるようになり、外の風が気持ちよく感じられるようになり、元気になった。
元気になってしまったわたしは、恋をしたくなった。
だれかに愛されたいと、思うようになった。
だれかに必要とされ、求められたいと思うようになった。
求めていたいし、求められていたいと思うようになった。
でも、そう思っただけで、なにもうまくいかなかったから、「こうすれば、うまくいく!」という「答え」や「指針」を、また、外に求め続けた。
「こうすればうまくいくのかもしれない」と、希望を持ったわたしは、一時的に「おおきな気持ち」になった。
でも、その「おおきな気持ち」は、一時的なものだった。絶望した。
にもかかわらず、これは、なんどか、繰り返した。
本を読み、「こうすれば、うまくいく!」という人に会いに行ったこともあった。
何度も希望を持って、何度も希望を失った。
何度か繰り返し、疲れ果てたあと、
「そもそも、わたしは、ほんとうは、なにをもとめているのか?」
という問いに、やっと、立ち返った。
- 恋をしたい
- だれかに愛されたい
- わたしが愛する人に愛されたい
↑これは、そもそも、なぜなのか?
「愛」や「恋」を得ることで、わたしは、どんな気持ちになるんだろう?
- 満たされた気持ち
- 安心安全な感じ
- のびのびと、ひろがるような、軽い感じ
- 落ち着いていて、くつろいでいるような、感じ
「わたしが得たい気持ちはなんだろう?これを言葉にするならなんだろう?」と、ああでもない、こうでもない、こうかもしれない、ああかもしれない、と考えているうちに、
わたしの内側に、なんとも言えない、充足感のような、心地よさが、広がっていった。
- 恋をしたい
- だれかに愛されたい
- わたしが愛する人に愛されたい
これを、得たいと思っていたのは、
- 満たされた気持ち
- 安心安全な感じ
- のびのびと、ひろがるような、軽い感じ
- 落ち着いていて、くつろいでいるような、感じ
これを、感じたかったからなのだろうか?いや、なにかが違う気がする。
その前に、当時のわたしは、男の人のことも、女の人のことも、こわかった。
当時、人間関係がうまく行った試しがなかった。すべて自分が悪いと考えていて、呪われた運命だとほとんど確信していた。
それなのに、わたしのなかのなにかは、
「わたしが愛する人に愛されたい」
と、強く、叫んでいる。
これは、非常に困った、注文だ、と思った。
(つづく)