与えると受け取るは、ひとつで、与えたものを受け取ります、受け取ったものを与える・・・という法則。
最初は、誰でも、このことを、わからなかったり、あるいは、わかっていると思い込んでいたり、するものです。
けれども、続けていると、体験します。
内側に原因で、その内側にある前提を、与えて、差し出して、そして、現実として体験として、受け取っている。
それで、今までは、どちらかというと「受け取る」のほうを、重点的に書いてきました。
受け取る、というのは、すごく簡単にいうと「その人をどのように見たか?」「その現象をどのように捉えたか?」ということでもあります。
与えるよりも前に、受け取るについてを、書いてきた理由について、理由を、いくつかの角度から書いてみたいと思います。
(1)
母親との過去の感情の浄化ができていない場合など。
※母親じゃなくて、父親という方、兄弟姉妹という方、祖父母という方もいらっしゃると思います。
この場合、「母親に復讐したい、見返してやりたい」という気持ちを隠し持っている場合が多く、「母親から愛を受け取ってもらえなかった」という感情が残っていたり、「母親からの愛の受取拒否」をしている状態となります。
そうすると「愛を受け取ってもらえなかった」という未浄化の感情を、母親ではない、誰か・・・それは、パートナーであることもあれば、仕事仲間、友人、カウンセラー、メンターなどに投影する場合もあります。
ひとつ言えるのは、一番、高い確率で投影してしまうのが「自分にとって、一番大切な人」ものなのです。
受け取るも、だいじ。
(2)
「上から目線の与える」だったり、「駆け引き、取引、条件付け的な与える」だったり、「承認欲求、支配欲による与える、押し付け的な与える」だったり、ということもあります。「自己犠牲の与える」だったり。
たとえば、誰かの世話を焼くことで、自分の存在価値を見出そうとする場合は、与えているようで、実は求めているのです。相手から必要とされていたい欲求。
一概には言えないのですが、タイプによっては、人を支配したり(コントロール)、まわりをダメにしていったり、というタイプの方もいらっしゃいます。
人を支配したり(コントロール)などと書くと「こわく見える」という方もいらっしゃるかもしれませんが、意外とあるものですし、これを認めてサレンダーして超えたという方は、ものすごいですよ。
(3)
あと、これは、わたし個人の感覚なので、適当に読み流していただきたいのですが。
わたしが、どうしても「与える」という言葉がなかなかしっくりこなくて、「差し出す」や「させていただく」や「自然と伸びていく」などの言葉の方が、しっくりくるのです。
「〜してあげる」などは、日常会話の中で、あると思いますが、上から目線なニュアンスが残ったままだと、苦しみにつながります。
けれども「させていただく」「差し出す」は、喜びにつながります。
(4)
「与える」の裏に、承認欲求や、何らかの欲求が隠れているというのは、SNS・インターネット時代、繊細度高めの方達は、これを感じている方も多いのではないかと思います。
繊細度高め、無境界が曖昧な方が、それに染まってしまう、ということもあります。風邪がうつる、みたいな感じにちょっと似てますね。(魔界とつながる現象、とわたしはよんでいます)
(5)
あとは、シンプルに、「愛の受取拒否」「奇跡の受取拒否」をし続けることはよくあることです、という角度もあります。
自我は、神の最高で完璧な幸せを、こわがったり、スルーしたり、することは、意外と、よくあるのです。
(1)〜(5)と、いろんな角度から書いて見ましたが、これが全く一生当てはまったことないような人は、いないと思いますし、大人になってからも隠し持ってるということも、めずらしいことではないと思います。
このことに向き合わないままそのままでいる人と、このことと向き合って今までのパターンを終わらせていく、超えていく人と、なのだと思います。
・・・これについて、一度お伝えした上で、「与える」を書こうと、思っていました。
いろいろ書きましたが、愛を与える、何かを与える、与えたい、というのは、素晴らしいことです。
自分にあるものしか、与えることができないので、与えることによって、自分の内側に愛が溢れていたことを体験として受け取れるものです。
けれども、どんなに浄化をして、向き合っていても・・・というか、向き合っているからこそ、たとえば「裏に承認欲求がないかどうか?」などを疑う時期、そういう壁にあたるときは、くるものかもしれません。
だから、わたしは、内観はした上で、祈り続けてます、という感じです。
ちなみに、「与えること、差し出すこと、表現することをしてこなかった」という場合や、自分には愛がないと思い込んでいる場合、慎重になりすぎていた場合などは、勇気を持って、差し出してみる・表現してみることを、意識してみると、素晴らしい体験につながるかもしれません。