鏡でうまく見れない理由

鏡で見れない、という理由はひとつではないと思いますが。

結構、長い間、向き合ってるつもりだけど、あれ?という場合。

 

 

「目に見えるところ(肉眼で捉えられるところ、形態、肉体、形、性格など)」にフォーカスしていないかどうか、見てみてください。

肉眼を使って、肉体を見てたら、そりゃ「鏡ではない」となります笑

肉眼は、差異を見るのがお仕事だからです。

 

 

そうではなくて、どう感じたか?どう思ったか?どう見るか?です。

何を感じとったか?です。

・・・これ以上、なんて書いたらいいのか、わかりません笑

 

 

たとえば、そばにいる人が、とてもケチで、お金を溜め込んでいて、お金についての小言が多くて困ってるとしましょう。

わたしから見ると、そこまで、細かくならなくていいのに、と思ってるとしましょう。

けれども、自分はケチじゃない、と思ってるとしましょう。

これをどうやって鏡で見ればいいんだ、と思ってるとしましょう。

 

 

まず「肉眼」を使って、差異を見てきたこと、心の目を使っていなかったことを思い出します。

ここから、たとえば、なので、一人ひとり、違うと思うので、実際に自分の心と向き合う必要がありますので、たとえば、で読んでください。

たとえば。

「(お金の使い方が)ケチであるその人」に、自分は、何を貼り付けて見てるかな?感じているかな?と自己問いかけしてみます。

 

 

・その人に「(神に)ゆだねられずに、楽しめずに、信頼できずに心配してる感じ」を感じるかもしれません。

・その人に「(内なる神、心がすべてではなく)お金に価値・力を置いていること」を見ているかもしれません。

・その人に「おそれからお金を溜め込もうとしている(恐れを持ったままお金を扱おうとしている)」ように見ていたことに気づくかもしれません。

・その人とのお金についてのやり取りを振り返ってみたとき。「そんなに心配しなくてもいいんじゃない?」とその人に言ってみて、その人から聞き入れてもらえなかったことを思い出すとします。そしたら、その人に「わたしの話を聞き入れない、自分が正しい、わかってると思ってる」とみていたことに気づくかもしれません。

 

 

そうしたら、

・「ゆだねられない、信頼できていない」

・「(内なる神、心がすべてではなく)お金に価値・力を置いていること」

・「おそれからお金を溜め込もうとしている(恐れをお金に見ている状態)」

・「人の話を聞き入れない、自分が正しい、わかってると思ってる」

これが、自分もそうだ、ということです。それで、これが、浄化のタイミングなので、ざわッとする感じで、現れてる、みたいな感じです。

これに気づくこと、自分の中でこれと一致できることが大事なのですが、なかなか気づけない場合は、祈ります。

 

 

 

ここで、お金について自分が持っていた価値観を書き出してみるのも、いいかもしれません。

・恐れをお金に見てるだけではないか?

・不足感をお金に見てるだけではないか?

・お金がない、足りないのは恥ずかしいと思っていないかどうか?

※恥ずかしいというのは、人の目=裁きの目と思ってるということです。「まぁ、あの人、なんてことかしら」と裁かれる、蔑まれるのではないか?と思えるときというのは、自分が自分を蔑んで、裁いているということで、これに気づくのが自分と一致するということです。

・お金=価値、お金=能力、価値=能力だと思っていないかどうか?

・お金がないと生活できない、生きていけない、というのは、自分のことを肉体だと信じ込んでいる、ということです。自分のことを肉体だと信じれば、そりゃ、お金のことで恐ろしくなるのは当然ですが、それだと「一生解けない問い」として自分が苦しむことになります。本来の自分とは、豊かな愛そのものとしてのスピリットです。

 

 

これってどういうことかというと、問題はお金や、誰かや、国の政策制度など、外側に存在するのではない、心がすべてだと思い出すこと、

つまり、自分の内側にある、神がないという信念、不足感、欠乏感、不信感、「自分が感」(自分が正しい、わたしはわかってるという思い、神にとって代わりたいという欲求)、

能力=価値だという勘違いなどです。

なので、自分の内側に、不足感があれば、それがたまたま「お金」という形の問題で現れたとしても、それはいつだって、他の問題としても形を変えて入れ替わる、ということです。

「自分はわかってます(みんなそうだし、普通に考えてそうだし)」というのを、脇に置くのは、お金に限らず重要です。

本当にわかっていたら、そしてそれが本当に”正しかったら”、そのやり方で、問題になってないはず、うまくいってるはず、だからです。

 

 

今日は例が「お金」になりましたが、どんな問題でも、その奥に、その先には、奇跡、愛のメッセージがあるので、

それを受け取りたい、学びたい、という姿勢が大事、というか、それがあるのとないのとでは、大きな大違いです。

 

 

なんというか、「お金と”自分は肉体であるという信念”って、関連づいてるよな」と気づいてから、お金って、すごく、スピリチュアルの道、って感じがしてます。

鏡で見る、というのも、「肉眼でのあれこれ」を見るわけじゃないので、自然と第3の目が開いてくるのかもしれない、と思いました。

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