自分を愛するって。
愛すると愛されるが同じ、受け取ると与えるが同じ、イコール、同じエネルギーである、
ということを認識して実感していく、ということでもあります。
そのときピンとこない方も、日常の中でちょこちょこ思い出すだけでも体験を受け取れるものです。
「わたしとわたしの関係」というのも「神とわたしの関係」。
自分に狭いエゴの見方、決めつけを押し付けずに、無条件の愛を受け入れます、という感じです。
それが「わたしと誰かの関係」へと広がっていく感じです。
これを体験すると、感謝と尊敬、真の謙虚さ・・・ほんとうにありがとうございます・・・とその凄さにただただ感動する感じなので、なので、感謝や尊敬は大切、と言われています。
時間は今だけなので、条件付けずに、今するとすごくいいというだけで、それをしないしたくないということが悪いという話ではないのです。
愛することと愛されることは同じ。
なので、愛されていることを受け取れてる方というのは、愛している、ということでもあります。
愛すると愛されるの、両方通行というか、輪っかというか、循環というか。
愛されること、愛されていることを拒絶(愛の受取拒否)したり、疑ったりして、
パートナーとの関係で苦しんでる方もいらっしゃいます。
疑いや不信感というのは、愛ではなく、依存を作り出します。これは、恋愛夫婦に限った話ではなく、どの関係性もです。そして、その先には「裏切られた」「期待はずれだった」と言いたくなることがあるのですが、先に裏切ったのは、自分なのです。自分が神を、自分が無条件の愛を、自分が自分の中にある完璧性を、裏切った。
信頼は、深い深い目に見えないところで一つにつながってる、というところを見ることになります。
愛することに、理由なんてないし、愛されることにも、理由なんてないのです。
ただ、あなたがいてくれて、幸せ。
「〇〇したら愛される、〇〇になったら愛される」という条件などなく、ただ、愛されているのです。だから愛するのです。
愛することも、愛されることも、同じで、この愛の表現というのは、本来の姿なのかもしれません。
もちろん、自我は、依存のようなものを愛だと思い込ませることがありますが、ここでは同然、依存関係や独占欲や支配欲や特別感などのことを言ってるわけではありません。
ただ、理由もなく、愛しているし、愛されているのです。
愛すること=愛されること
受け取ること=与えること
このイコールを、何度も思い出していくことが、自分を愛するということだと思います。
どっちの方がいいとか、より価値があるとか、得意不得意とかじゃなくて、どちらもあるということ、
受け取るとおりに与えてる、ということを日々学んで、受け取っていきたいです。
特に、恋愛やパートナーとのご相談では「この人!!」となりやすいのですが、その場合、木を見て森を見ず、となることもよくあることです。
もちろん、パートナーとの関係以外でも、「この問題!!」となって、その外側から目が離せなくなることはよくあることです。
いずれにせよ、森全体を見る、思ってみる、思い出す、ということが、助けになることもあります。
「神とわたしの関係」の延長がそのまま「わたしと誰かの関係」「わたしとパートナーとの関係」に現れます。