母が死んでしまう恐怖の件

おはようございます。りんごです。

今日は「母が死んでしまう恐怖」の件。

母が死んでしまう恐怖。

母を失う恐怖。

愛する人を失う恐怖。

唯一の理解者を失う恐怖。

わたしたちのほとんどの初恋の相手は母です。

ママが初恋、二番目がパパ。

三番目に兄、姉、祖父母、おじおば、従兄従姉・・・などなど。

ということが、絶対全員そうだ、とはいいませんが、「圧倒的割合を占めてるでしょう」という感じです。

このような初恋の相手である相手、二番目三番目に恋した相手、というのが、わたしたちのありとあらゆる関係性のベースというか「枠」というか「檻」というか「パターン」というか、になっていることがあります。

関係性、というのは、友達、先輩後輩、恋人、好きになる人、憧れる人、配偶者、親子関係、お仕事関係者、師弟関係などなどの人間関係だけでなく、土地、家、持ち物、お金、身体、植物、動物、神様、霊的存在、おばけ、ありとあらゆる、なにもかも、です。

初恋の相手との関係性をスライドさせていただけ、です。

そして、重要なのが、初恋の相手との関係性について、主観と客観をわけて捉えることだったり、自分の素直な気持ちを自分が認められることだったり(そのままでいいよ💞どんなわたしも等しく愛してる💞)、します。これが、なかなか難しい方もいらっしゃるので、これがなかなか難しい、という場合は、心理学専門のカウンセリングとか、いいと思います。

心理カウンセリングの面談100回以上したとか、精神科の先生にも診てもらったことがあるとか、それでもって、運動や栄養など身体の重要性も認識できていて(実践できていなくても認識できているなら◎)、

それでも「なんか、残ってる感じ」「なんか、違和感」となって、はじめて、ワンネスだったりスピリチュアルだったりの門を叩くくらいで、ちょうどいいのかもしれません。

話がそれました。戻します。

この、わたしの初恋である「母」だったり「父」だったり、というのは「愛する人」に置き換えることもできます。どんなに、母や父のことを恨んでいても、憎んでいても、です。やはり、愛しているからこその愛憎劇です。

わたしは、長い間「母との関係性」に苦しんできました。

※これがですね、母との関係性については、先月(8月)くらいに、完全な愛(元の状態)という奇跡を受け取りまして、これについても書きたいのですが、書きたいことが山ほどありますので、またいつか書きます。

母とわたしは、何度も、親子喧嘩をしました。

とても激しい、親子喧嘩でした。

親子喧嘩しながら「わたしはもう死ぬしかない」と、何度も思いました。

※ここで「死ぬべき相手」が相手に向かうタイプと、自分に向かうタイプといらっしゃいますが、どっちのほうがどう、とか「比較はしてもいいし、しなくてもいい、わたしはなにを感じているの?」の位置が重要です。

わたしの、母への怒りというか憎しみというか、そういうものは凄まじいもので、でも、ふと我に返るような瞬間もあって、我に返ると「そんなふうな思いを持ち続けていること自体が苦しい」という感じでした。まさに、

怒りとは酸である。注ぐ相手より、蓄える器をより侵す。著作家・マーク・トウェイン。

って感じです。

兎にも角にも、母に対しての怒りというのがすごくて、わたしがこんなふうになった(大変に生きづらく、社会不適合者で、心も苦しいし、結婚もできない、彼氏もいない、等)のは、すべて、母親のせいだ、と、いつも思っていました。

この時点で、たしか、「人のせいにしても解決にはならない」とか「自分の内側が現実を作り出している」的な本は何冊も読んでいたのですが、それでも、やっぱり、「いいえ、全部、母のせいです」と言いたかったし、そう思っていました。

こんなにも、母に対して、怒り、恨み、憎んでいた、わたしですが、ある頃から、

「母が死んでしまうのがこわい」

「母が認知症になったらこわい」

という恐怖がどんどん膨らんでいきました。

「ある頃」というのは「祖母が認知症かもしれない」となった頃だったか。

母と年が近いおば(母の姉)が癌で亡くなった頃だったか。

いや、もっと前だった。

わたしが、10代の頃、県外で一人暮らしをしていて、久しぶりに実家に帰ったら、台所に立つ母の背中がなぜか小さく、頼りなく、弱々しく、顔もやつれていて、白髪も増えたような気がしたことがあって、

「わたしの母は、小さく、弱く、頼りなく、年老いてしまった」

と気づいてしまった、あの瞬間だった気がします。

わたしはすでに10代の頃から、母が年老いて、母が死んでしまうかもしれない、という恐怖に怯え続けてきました。

だから、わたしは、母から「最近、ものわすれが激しくなって」と言われると激怒していましたし、「お父さんとお母さんがボケたら、よろしくね」と言われると激怒していましたし、

母はそんなこというくせに(?)、運動もせず食事にも気をつけないことに、いつもイライラしていました。

わたしのこの怒りも、イライラも、母を激しく求めていたからでした。母の肉体と意識と心と魂とを、ずっと、わたしのそばに置いておきたかったからでした。

「母を、愛する母を、失いたくない。唯一、わたしの一番醜い姿をみた人。唯一、わたしの一番罪深い姿をみた人。わたしの人生で、一番、深く、わたしを傷つけた人。それでも、ずっと、わたしのそばにいてくれる人。理解者であり、きっと、わたしがなにをしてもなにをしなくても、愛してくれたであろう人」

という、わたしのなかの、甘酸っぱい、切ないストーリーがあって、これが恋だろうが、愛だろうが、愛着障害だろうが、依存だろうが、洗脳だろうが、支配だろうが、なんだろうが、「わたしは母を愛していた」んです。

まぁ〜、非常に、精神的にきつかったので、わたしも10代の頃は精神科の先生に大変にお世話になりました。それでも、まだ、きつかったので、心理学や催眠も学び続けていました。

それでもまだきつかったので、ずっとジプシーしていました。

もちろん、自己実現、願望成就なども同じくらい強く望んでいましたが、母との関係性は、いつも、わたしの中のメインテーマのひとつ、でした。

この母との関係性が8月に完全消失した、というか、今までのありとあらゆる苦しみはそもそも幻想だった、ということになったのです。そういう出来事が、何度か重なったんです。

その前だったか、後だったか、並行してだったか、忘れましたが、「死への恐怖(自分でも相手でも)」というのは、エゴに取り憑かれているから、ということも、明確になったのです。

「肉体の死」というのも、幻想です。分離による幻想というものの、最終目的地は、いつだって、「死」とか「殺」とか「恐怖」です。

しかも、幻想なんですよ、幻想は。存在しないということです。根拠なし、ということです。被害妄想みたいなもの、白昼夢みたいなもの、です。

だから、取り合ったりしてはならないのです。解決しようとしてはならないのです。取り合う、解決しようとする、とすると「幻想は存在します」と宣言していることと同じだからです。だからエゴと仲良し、とか、マーラをコントロールする、とか、してはならない、のです。

「してはならない」と書きましたが、それでもやっちゃう、というのは仕方がないことで(だって人間だもん)、重要なのは、「それを知っている」こと、です。ここでの「知っている」は、ひとまずは、頭の理解でも、知識でも、概念の適用でも、OKです。

わたしの場合は、祈り、ということを続けているうちに、いろいろと導かれ、死への恐怖も、母が死んでしまう恐怖も、愛する人を失う恐怖も、完全消失しました。

母との関係性も、母に対する見方も、完全なる、大変化を遂げました。

ぶっちゃけ、今回の「2022年夏の母との関係大事変」までは、母のことを「分かり合えないけど仕方ない」というか、「住んでいる星が異なるのだ」的な感じで済ませていたのです。

これを完全突破したのです、今年の夏。

ほんとうにただの愛、ただ愛、自由としての愛。

コントロール、支配、世話焼き、善悪、正義の押し付けなどのパターンを完全突破した瞬間、それらのエゴの表裏を対消滅させた瞬間でもありました。

同時期、ちょうどお盆とかだったのですが、亡くなった祖父と祖父、両方の存在を、”たしか”に感じられる出来事もあったのです。

「わたしの場合は、祈り、ということを続けているうちに」と書きましたが、

祈りの前段階として、鏡、という大浄化をすませて、今でも必要があればいつでも、喜んで鏡しますって感じですし、

行ったり来たり、三日坊主の繰り返しだとしても「たったひとつの愛」という視点を何年間も大事にしつづけていた、

というのは、「祈り」に影響する大きな要素だと思っています。

あ、そうそう。

今朝も、朝イチでお祈りと遠隔ヒーリングをしました。

朝、朝っていうか”今日未明”ってころの時間帯ですが、朝はやっぱり、わたしには最高の時間帯です。(あまり早く起きすぎると、フクロウ型のうふふくんがまだ起きてることがあります)

今日もいい予感がします。

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