鏡の実践について

わたしの場合は、最初、心理学の投影を知って、

そのあと「鏡の法則(人生のどんな問題も解決する魔法のルール) 野口嘉則著 ※完全版ではない方」という本に出会って。

それ以外にも「思考が現実化する系」だったり「内側に全てが原因がある系」の本をたくさん読んだり、学んだり、実践してきました。

※ちなみに、最近、「完全版 鏡の法則 野口嘉則著」の方を読みました。「鏡や投影自体が???」という方、ご両親との関係がとてもキツイ方などは「完全版 鏡の法則 野口嘉則著」、おすすめです。

 

 

「この出来事を、この状況を、この人を、自分が、作っているとしたら?」

というところに、何度も、戻り続けました。

「この人だけは、この出来事だけは、例外にしておきたい」ということは、何度も経験しました。

表面的に「はいはい」とやってるものの、「でも、やっぱり。1ミリグラムだけ、相手の方が悪いわよね」というようなことも、ありました。笑

 

 

けれども、いつも、心の片隅で「いや、でも、内側が原因らしい。わたしは、それを生きてみたい」という気持ちはあって、逃げ出したり迷子になったりすることはあっても、戻ってくるのは、

「内側に原因」「この世界は内側の反映」「すべて自分の内側に原因がある」でした。

 

 

「この問題がなんとかなるなら、なんでもやります」みたいな必死さがあったようなこともあったように思いますが、

今、思えば、実験感覚のようなところもあったかもしれません。

相手のせいにしたいときは、とてつもない拒絶抵抗がありながらも、なぜ、こんなに、「内側に原因」というところに、戻り続けることができたのか。

「そこに真理があると、魂は知っているから」だったのかもしれません。

 

 

「自分の内側の心の奥に、この鼓動、呼吸の奥の奥に、すべての力がある、心がすべてなんだ」

ということを、魂は知っているのかもしれない。

 

 

「相手が、自分が隠している自己否定や自己批判や自己憎悪や自己嫌悪を、映している鏡だとしたら?」

「相手が、自分が嫌ってるところを映している鏡だとしたら?」

「そんなふうに、わたしは、相手に、自分の嫌いなところを映しみて、相手のことを決めつけて、自分が自分にそうするように、相手をジャッジして、責めて、批判しているとしたら?」

このことに、わたしは、夢中になりました。

時間がかかるテーマも、経験しました。

そんな中で、たくさんの奇跡のようなこと(問題解決も含めます)を、たくさん、経験しました。

 

 

それでも、ずっと続けていると、「心理学」や「脳科学」や「精神医学」から、ふわっと、なったのです。(うまく書けない、ごめんなさい笑)

 

 

鏡の実践で、自我の自己否定の取り消しを続けていたある日、

内側の心の奥にある神の投影、「投影」という言葉でいいのかわかりませんので、言い換えると、神を映しみている、ということを、見せてもらえた、体験した、のです。

これ以降、今まで以上に、本気で、霊的なところの学びを、深めていきたいと思い、そうしたら、すぐに、その道も、現れた、という感じです。

 

 

引き寄せの法則やパラレルワールドなど願望成就も、ベースがこの「内側に原因がある」です。

ポジティブな嬉しいことだけ内側に原因で、引き寄せた、ということで、ネガティブなことは自分では作ってないと思いたい、ということは、ありえないというか、宇宙の法則からは、ズレています。

「この人だけは、この出来事だけは、例外にしておきたい」というときは、ズレている、まだまだ法則をわかってない、ということで、

これって、例えば、

正方形の面積を求めたいのに、円周率の公式を使ってる、みたいな感じです。(それで、なんで思うようにならないの、変わらないの、となってる状態です)

あるいは、

キャベツの千切りをするために、包丁を使えばいいところを、木ベラで切ろうとしてる、みたいな感じです。

これをまた「こんな自分は恥ずかしい、悪いことだ、劣っている、バカなことだ」と否定するように勧めてくるのが自我です。

ほんとうは、なんでもないことです。

「ああ、キャベツの千切りには、木ベラではなく、包丁を使うのでしたね」でおしまい、のお話です。笑

けれども、自我は、それさえも「認めたら、恐ろしいことになるぞ!」と脅かしてくることもあります。

 

 

自己否定のぐるぐる(自己否定をバネにした自己肯定感、劣等感を裏に隠した優越感など)、ジャッジメント、コントロール、そして、ネガティブ感情(おそれ)を、

「これは自我のはたらきである」と、ただ、認めていくことをだいじにすることは、とっても大切で基本的なことです。

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