浄化〜奇跡のおはなし

今日は、浄化〜奇跡のお話です。

それで思い出したのが、「年齢のことが気になって」という、最近セッションやクラスで続けていただいたテーマです。

 

「年齢のことが気になって」というのは、2018年〜のセッションの中で、何度もいただいてきたご質問で、わたしも色々書いてきた気がしますが、

今日はまた、今日の角度から、書いてみたいと思います。

 

 

「どうしても、年齢が気になる、年齢のことを考えて焦ってしまう。それが、外側基準、親からの影響であることはわかってるけど、焦ってるし、こわいし、どうしたらいいんでしょうか」とご質問くださる方は、とても多いです。

 

 

年齢以外でも、「結婚を!」「〇〇くんを!」「収入が!お金が!」と一点集中なときほど、「内側に原因」を思い出してみてください。

「内側に原因らしいぞ」でもいいです。

なぜなら、そこ(年齢、結婚するかしないか、〇〇くん、等)などの「外側」に原因も、問題も、ないからです。

これが「内側に原因」「心の奥にある力がすべて」「引き寄せ」です。

 

 

なので、シンプルにいうと「年齢という数字、結婚という状況、〇〇くんという人、等々」は、内側を見ないようにするために自我が作り出した、ダミーの問題というか。

これが自我のトリックです

もう、最強の手品師です。

「ただ、自我のはたらきとして、そうである」というお話です。

家に泊まりに来てくれたお客さんに「あ、お風呂のお湯の温度上げたいときは、このボタン押してね」みたいなノリの話だと思ってください。

 

 

(1)

話は戻りますが、わたしたちのほとんどが、これに騙されてきました。

「年齢」だけでなく、さまざまな外側の形、あるいは、さまざまな「恐ろしい声(思考、思い込み)」に問題がある、という手品に、本気で引っかかってきたのです。

なので、まずは、このことを、本気で何度も思い出すこと、です。外側に問題も原因も問題解決法もないことを、です。内側がすべてです。

 

 

(2)

そして、このような自我の脅し的思考が何度も何度も浮かぶときは、それと戦わないこと・動かそうとしないこと・自我をコントロールしようとしないこと、です。

「これが自我の働きか、これがおそれなのか・・・」という感じで、みます。

 

 

(3)

そして、おそれ(こわい、恐怖、焦り、などなど)を解決してくれる、最強の解決法は、

自分のハートの、内側の、心の、呼吸の、その奥にある、完璧な愛である

ということを、思い出します。(内側に原因です)

自分の内側に完全、完璧な「なにか」があって、それが、最強で最速の治療薬、みたいな感じです。

ということを、思い出します。

「信じられない、わからない、でも、試してみたい、でも信じられない」という方は、「らしいぞ」と思って、何度も思い出していただいてもいいですし、わからないまま、何度も思い出していただいてもいいです。

このお話を受け入れたくない、という場合は、それでもそのままでOK、という感じです。

 

 

根っこは、自分と自分の関係性、神(内なる神聖性)と自分の関係性、です。内側です。

・自分が自分をどうみているか?(否定していないか?憎悪していないか?嫌悪していないか?)

・「自我の考え=自分の考え」と思い込んでいないかどうか?自己否定的セルフイメージは自我が作り上げた虚像であり、本来の自己とはなんの関係もありません。わたしたちは、自我を選ぶことによって、あるいは、自我にそそのかされることによって、「自我の考え、思い込み、信念」を採用し、大切に信じ込んできました、ということで、それが悪いとか、劣っているとか、ダメとかでは、ありません。

このようなことを前提に、どんな自分もそのままを、ありのままを、認めて、愛して、ゆるして、いきます。自我にはもう降参です。

そして、ここで忘れがちなのが「そのままを愛する」です。

「そのまま」を、認めて、受け入れて、愛するのです。

神(無条件の愛、法則性の象徴)がそうするから、わたしもそうする、という感じです。

 

 

そして、同時になのですが。

こんなふうに、自分と向き合って自分をゆるしたり、神(内なる神聖性)と自分の関係性(祈り、神様に聞く)をしたり、

何度も何度も思い出したり、していると、「ちょっとした幸せ」や「とっても嬉しいこと」などなどが増えてくるはずです。

※これは「わたしの経験」「法則的に」というところを超えて、セッションさせていただいてもそう、という感じです。

 

 

まず、一番多いと感じるのは「褒められるようになる」です。

この流れがきたら「浄化できましたよ、自分を愛せていますよ、ゆるせましたよ」という、「天使からのお知らせ」みたいな、目に見えないなにかからのお知らせ、だと思って受け取ってください。

そんなのただの思い込みでは?という声が聞こえてきましたが、こういう幸せな思い込みは、胸の中で感謝で受け取ってあたためるのであれば、最強のことです。思い込んじゃって、大丈夫、です。

このときの褒め言葉を受け取ってください。

頭で、理屈で、受け取ろう、理解しようとすると、また自我がわいわいやってくる場合が、なくもないので、

ただ「目に見えないなにかからのメッセージ、奇跡の前兆」と思って「神様 ありがとう」みたいな感じで、じっくり、受け取るほうが、いい流れを邪魔しません。

 

 

この段階までくると「暇になる」「退屈さを感じる」という方もいらっしゃるかもしれません。(もちろん、そうならない方もいらっしゃると思います)

暇、退屈な感じ、落ち着かない感じがしてきた場合で、刺激を求める気持ちがあると、また問題や事件を作ることがあります。(それはそれでOKなのですが、それがもう本気で嫌だ、苦しいです、という方に向けて、ブログ・セッションをしています)

 

 

けれども「神の采配(奇跡)、完璧で最高の幸せを経験する」とシフトした上で、待っていると、すごい展開、おもしろい展開になります。

このとき、ブレないためにも、祈りや瞑想や対話やアファメーションなどをすることは、すごくいいと思います。

 

 

もう、これがすべて、という感じです。

お伝えしていることはシンプルで、ずっと変わってなくて、

けれども、それを受け入れることは、自我に耳を傾けてしまったわたしたちにとって、すっごく難しい、ということは、めずらしい話ではない、ということでもありますが、

この、ほんの、わずかな、心の矢印の向きが、ほんとうに、大事なんですね。

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