「引き寄せの法則」というのは「すでに自分の中の心が選択して決断してますよ、そういうものですよ」という感じです。
なので「引き寄せるためにはどうするか?」というよりも、
「すでに自分の中の心が選択して決断してますよ、そういうものですよ」を”わかる”ことが大切だと思っています。
この”わかる”というのは、もちろん「頭脳で、情報として知ってる、聞いたことある」ということではなくて、
「心が受け入れている状態」「気づいている」とも言えます。
なので、例えば、「今、不足の現実を生きている」と見える場合も、
まず一番最初に大事なのは、「これは自分が選んでいる(らしいぞ)」というところです。
しかし、そう思えない場合、というのは、内観〜浄化(捧げていく、祈り)をしていきます。
苦しみや怒りなどの感情や思考がある場合は、抑圧しないことが大切です。
それで「わたしの人生」というのは、一つではなくて、すでにたくさんあります。
パラレルワールド、みたいな感じ。
そして、本当は、その中から、自分が選んでいる、決めているし、
さらにその上で、
A「それを被害者や犠牲者でみるのか?(エゴのメガネ)」
B「愛のまなざしでみる、使命としてみるのか?」
この二択のどちらかも選んでいる、決めている、という感じです。
本棚にたくさん本があって、自分が選んでる、という感じです。(心の中で)
なので、「A」でみつづけるなら、
パートナーと出会っても、結婚しても、復縁しても、
収入がアップしたとしても、貯金が増えても、ずっとしたかった仕事をしても、
「被害者や犠牲者のドラマ」は続くということなので、問題や悩み、迷い、執着してしまう願いや思いは、また、出てくる、ということです。
逆にいえば、今、「A」を選んでいることに気づけたら(=心からそれを認める、受け入れる)ことができたら、
奇跡を体験したり、深い解放を受け取ることになりますし、
「すでにたくさんある人生」の中から選んでいる、それを決めることができる、ということも受け入れられるようになります。
なので、大事なことは「では、どうするか?」というよりも、
どんな自分も認めていく、心で感じていくことで、
「それをわかる(=ほんとうに心から受け入れられている)」という
優しくて、あたたかくて、どこまでも平和な、確信を深めていくことです。
それで、多分なのですが、
「自分が選んでいる、自分が決めている」「自分の中に決断する力がある」「自分が選んでいる」
↑このことを、心から、心で受け入れられるまでが、時間がかかるというか、苦しかったり、迷子な感じがしたり、するのではないかと思うのです。
わたしも、確か、そうでした。
なんでかというと、この「決断する力」というのは、
通常、心の奥の奥に埋もれていると言われています。
内観(浄化、祈りで捧げる)というのは、その心の奥の奥にある心の力、というところにたどり着くためのようなもの、なのです。
内観、というのは、もちろん、「考え方の矯正」でもないし、「性格の改善」でもないし、
「自分はこのような見方をしていたけど、それは間違っているので、このような見方を採用しようと頭で考えること」「価値観Aから価値観Bに変更する」などでもありません。
確かに、内観をしていくと、見方・捉え方は、自然と以前とはまったく違ったものになりますが、それは、頭でそうしようとしてするのではなく、自然と広がる感じ、気づき(=解放)という感じなのです。
内観というのは、ただただ、心で感じていくものです。
ひとりで内観しようとすると、どうしても、上記のように「自分の思考を変えなきゃ」というような、ジャッジメントやコントロール、自責などが働いて苦しくなってしまいます。
だから、大いなる存在(無条件の愛の象徴の存在、神様、ハイヤーセルフなど)とともにみます。
通常、心の奥の奥に埋もれていると言われている、
誰の心の中にもある「決断する力、選ぶ力」。
ここに触れるだけでも、結構、すごいミラクルが起きるものです。