パラレルワールド、というか、「本棚」。
重要なのは「眼鏡をかけているか?かけていないか」です。
例えば、簡単な例になりますが、
現在独身で、パートナーはいません(ほしいと思ってる)としましょう。
この時点で
A「エゴのめがねをかけている(被害者、犠牲者、無力など)」
B「愛のまなざしで見ている(内側に原因があることを受け入れている)」
のどちらかの状態がありえます。これは心の中、心の奥の奥の、それぞれの決断です。
なので「運」とかじゃないというか。「運命は変えられる」と言われることもありますが、
「本棚にはすでに本がたくさんあって、選べる」ということです。
ちなみに、Bで生きる、というのは「天命、使命を生きる」ということでもあります。
※どちらの方が優とか劣とか、善とか悪とかの話ではないです
その上で、
(1)このまま独身、パートナーなし
(2)このまま独身、パートナーあり
(3)結婚する
の人生(本、DVD)がすでに用意されています。
どれでも自由に選べるのは、ほんとうは、自分自身です。
Bで生きる、というのは、どれを選ぶにしても、
本人にとって(自分自身にとって)
自然と溢れ出るような、心からの幸せ、喜び、愛、感謝が広がっていく選択
となります。
なぜなら、Bで生きる、というのは、自分だけでなく、そばにいる人々、関わる人々、出会う人々、もっというと世界中の人々と
愛を分かち合っていくこと、愛を与え合っていくこと(=受け取りあっていくこと)なので、
「自分は愛を感じられていない」という状態では、それは不可能です。(よね?)
なので願望を手放すというのは、諦めることとや妥協することはまったく異なります。
「自分(自分と自分が選んだ人)だけ幸せで、それ以外知らない」というのも、法則に一致しないことですが、
逆に「まわりだけ幸せで、自分だけ幸せじゃない」というのも、法則に一致しないことです。
法則に一致していく、法則を受け入れていく、というのが、実践ですし、実践すれば、必ず体験(奇跡)がきますし、その体験によって真に癒されていきます。
あなた=わたし、まわりの人々=わたし、というのが鏡なのですが、
犠牲者意識(信念)があると「わたしの幸せ、喜びを犠牲にしなければならない」という感じになります。
なので「まわりだけ幸せで、自分だけ幸せじゃない」ということがありえるように、感じられます。
たまに、ですが、パートナーがほしい・結婚したい、という方から、
「ハイヤーセルフ(内なる神)と繋がっていったら、恋愛とか結婚とかどうでもよくなるんじゃないでしょうか?」
というご質問をいただくことがあります。
ここで今、ふたつ思い浮かぶことは・・・
「神」「神聖」「聖なる」「悟り」という言葉に対する先入観やイメージみたいなものがあるのではないかな?(と思うのですが、いかがでしょうか?)
もしありそうだったら、書き出してみると、いいかもしれません。
なんとなく、もやもやっと持ったままのものは、「文字化する、言語化する、言葉にする」だけでも、浄化されていくもの、手放されていくものです。
例えばですが、「内なる神」「祈り」というと、
「頭も丸めて、下も断ちます!」みたいなことをしなければならないような気がしていたり、
一生未婚の修道女のようなイメージがあって、自分もそうならなければならないような感じがしたり、
ナントカ山脈の奥でひとり座禅を組み、悩みを抱える人々の話を聞き続けるような感じになるのではないか、という感じがしたり、
・・・(笑)
もちろん、そういった方々も世界を見渡せばいらっしゃると思いますが、
そういった方々も「自分の心の中の選択、決断」でそうしたのであって、
「(強制的に、外側の力によって)わたしもそうなる」ということはありえないわけです。自分の心の中の選択、決断なのです。
しかし、このことが、どうしても、気になる場合は、
犠牲者意識(自分が犠牲にならなければならない、犠牲になる)という信念や、
外側の何かによって左右される(自分には力がない)という信念がないかどうか、内観してみるといいかもしれません。
こういったことに気づくことが大事、気づくから手放して、解放されるのです。
そして、もう一つ思い浮かんだことは、
例えば「パートナー、結婚、家族」というところで言うと、
B「愛のまなざしで見ている、使命を生きる(内側に原因があることを受け入れている)」
この決断をしているからこそ、これを心から受け入れているからこそ、
パートナーができたり、結婚したりする、家庭を持つ、ということも、あると思うのです。
愛というのは、のびていくもの、広がっていくもの、深まっていくもの、だからです。
恐れや価値観などを持っていると、すぐに手放すよう促され、解放され、奇跡を受け取れるものでもありますし、
たくさんの気づき、癒しの機会を与えてくれるものでもあると思います。
これは、結婚している・していない、に関わらず、経験していけるものだと思いますが、
ハイヤーセルフ・内なる神との関係を深めていくことは、結婚から遠のくとか、そういうのは根拠のない「エゴによるおそれの囁き」であって、
むしろ、ハイヤーセルフとの関係がそのままパートナーとの関係に現れるものです。